機動戦艦ナデシコ
Digital Fairy Tales
〜in "The prince of darkness”〜
作：たのじ
第四話 開かれた『扉』（前編）
＜２２０１年八月某日 周囲の空域は”アマテラス”の破片でゴミの嵐＞
立て続けに、いろんな事が起こった日だった。
”アマテラス”での戦い。凄まじい戦いを見せた黒い機体――アキトさん。そして、”アマテラス”内部に存在した”遺跡”とあの人。そして――現れた、”敵”。
目にした全てが、衝撃的なことばかりだった。現れた”敵”は、僕の短い記憶の中でもこれ以上ない強敵だった。
特に、アキトさんが”北辰”と呼んだあの紅い機体と、その部下（？）の妙な丸い機体。冗談抜きに背筋が寒くなるような相手だった。いつもの戦いの高揚感の中にあってさえ、僕に”死”の予感を感じさせる腕利き達だった。
そして、その後の”アマテラス”崩壊のゴタゴタでは、冗談抜きに死にかけた。”プリンセスガード”でなければ、間違いなく死んでいた。一緒にこれを作り上げたシゲさん達ネルガルのスタッフ、それから、こんな非常識な機体を設計してくれたセイヤさんには感謝してもし足りない。
……でも、ルリちゃんを怒らせたのは失敗だった。感情表現の下手だったあのルリちゃんが、あんな風になるとは……。少し離れていた間に、ルリちゃんもずいぶん成長したらしい。
みんなの前であれはきつかったけど、それも僕を心配してくれた結果だと思えば、少し、いや、正直かなり嬉しかった。後で、ルリちゃんの当直が空けた頃を見計らって、謝りに行かないと。
まず、なんて言ったらいいかな……。
ヤマモト・カイト
統合軍所属のエステバリス中隊、ライオンズシックルは、姿を現して以来、無人の野を行くがごとく”アマテラス”防衛線を蹂躙していた謎の黒い機体を、完璧な連携をもって追い立てていた。今までのターミナルコロニー襲撃事件において、統合軍の防衛艦隊は、彼の敵の前に全く歯が立たなかったというのに、だ。
それも不思議ではないのかもしれない。ライオンズシックル中隊は、元宇宙軍のトップエースの一人、スバル・リョーコ中尉が、自らの下に配属された、木星戦争当時からのベテランパイロット達を徹底的に鍛え上げた中隊である。その使用する”エステバリス量産型”は、新鋭機の”ステルンクーゲル”に性能的には及ばないにも関わらず、パイロット達の技量が性能差を完全に覆している。彼らは、自他共に認める統合軍最強の機動兵器中隊の一つなのである。
隊員達は、完璧な連携を全く崩すことなく、常に先頭に立つリョーコの後に従って追撃を続ける。周囲からは徐々に他の機動兵器中隊が集結、敵に対する包囲網を完成させつつあり、世間を騒がせたターミナルコロニー連続襲撃犯も、ここに来て追いつめられつつあるように見えた。
そうした状況ならば、指揮官たるリョーコの仕事はもうほとんど無い。せいぜい、部下達に『油断するな』と促す程度である。油断は、思いがけない失敗を産む。
しかし、リョーコは奇妙な違和感を覚えていた。
「（……こいつ、ほんとに連続襲撃犯なのかよ？ 脆すぎるぞ……）」
あの”敵”は、これまで落としてきたターミナルコロニーの防衛艦隊を苦もなく打ち破ってきたはずの相手である。確かに、”アマテラス”の守備は他のどのターミナルコロニーよりも厚く、固い。防衛艦隊の全戦力を正面から打ち破ろうとするには、同規模以上の艦隊、そして機動兵器部隊が必要になるだろう。
その”アマテラス”に対して、たった一機で奇襲をしかけてきた”敵”は、当然ながら正面から挑みかかるような無謀な真似はせず、圧倒的な機動力を活かし、火力の行使を最小限に留めて、防衛ラインをかいくぐって侵攻してきた。――ライオンズシックルが守るラインまでは。
「（何か、企んでやがんのか？）」
リョーコのどこかで警報が鳴り響く。機動兵器戦闘、及び、戦闘指揮に関しては非凡なものを持つリョーコである。”敵”の行動が、何らかの意図に基づく計画的なものであることを、直感的に確信していた。
と、そこに別方面から回り込んできた”ステルンクーゲル”の部隊が、ライオンズシックルに割り込みをかけるように”敵”の追撃を始める。
「あっ！ こら！ そいつはオレの獲物だ！ 邪魔すんな！」
とたんに顔を覗かせたファイターとしての性格が、つい先程までの思考を覆い隠してしまう。非凡な指揮官であるリョーコだったが、その本質は一対一のドッグファイトを好むパイロットである。自分が追いつめた獲物を目の前でかっさらわれてたまるか、とばかりに加速をかけ、一転して追撃に全力を傾ける。
「野郎ども！ あれは俺らの獲物だ！ 余所の部隊に持ってかれるんじゃねぇぞ！」
『おう！』
号令一下、ライオンズシックルは”獲物”を狩るべく更に加速をかける。
だが数分後、リョーコはこの時の判断を軽い舌打ちと共に悔やむことになる。
『ラピス……。突入ポイントは出たか？』
『あと三十秒ちょうだい……。カイトが、ナデシコＢの位置を送ってきてる』
黒い機体、”ブラックサレナ”のコックピットで、拘束具のようなプロテクターに身を包んだアキトはＩＦＳインターフェイスボールを握り直した。後方、そして左右からは、ライオンズシックルを含む機動兵器中隊が半包囲態勢を作り上げつつある。
このブラックサレナの性能と彼の腕ならば、それをすり抜けることも、打ち破ることも容易なことだが、それは彼の”敵”に時間を与えることになる。一刻も早く、”アマテラス”に突入して”目標”を確保しなければならない。
『急げ』
『あと五秒……。出たよ、アキト』
ウィンドウの一つに、簡略化された図が浮かび上がる。そこには『再侵攻ルート』と記された一本の線がくっきりと引かれていた。
『やるぞ』
『うん』
短いやりとり。顔は見えないが、向こうの少女が頷いたのがわかる。
『ポイントβが最適と判断、ジャンプするよ』
いつもアキトの側にある思考が、一瞬だけ消える。それは同時に、アキトの”本番”が始まる合図となった。
「（……ユリカ、今行く！）」
全てのスラスターを噴かして、一気に追撃してくる機動兵器群を振り切り、半円を描いて機首を”アマテラス”に向ける。その視線の先では、”アマテラス”の向こう側に現れた白い戦艦、”ユーチャリス”のグラビティブラストが、側面から防衛艦隊を薙ぎ払っていた。
アキトの顔の半ばまでを覆うヘルメットから僅かに見える口元を、爆光が照らし出す。それは、一見して計りきれない何かで、微かに歪められていた。
時間は、数分ほど遡る。
「……お待たせです。ただいま、戻りました」
『お帰りなさい、ルリさん』
「艦長！」
一人ナデシコＢのブリッジに戻ったルリを、オモイカネとハーリーが出迎えた。サブロウタは、既に格納庫で待機しているのか、ブリッジにはいない。ルリは小走りに艦長席に腰を下ろすと、操艦システムの起ち上げをオモイカネに指示した。
「……ハーリー君、戦闘モードに移行しながらそのまま待機。当面は、ここでこのまま高見の見物を決め込みます」
「加勢しなくて良いんですか？ なんだか、大変そうですけど……」
「ナデシコＢは、避難民の収容を最優先します。それに、アズマ准将は私達のお手伝いなんてお断り、って感じですから」
「はぁ……？」
アズマ准将に直接会っていないハーリーには、ルリの言いたいことがよくわからなかったのだろう。まだまだ素直なハーリーには、宇宙軍と連合軍の確執という事態は理解できても、この非常時にまでそれを崩そうとしない事が判らなかったのかもしれない。指揮系統が別とはいえ、有事に際には協力して事に当たる、という申し合わせが、両軍の間では成立しているはずなのだが。
『その通り！』
「わっ！」
「あ、どうも……」
と、ナデシコＢのブリッジに、大写しのアズマ准将が現れた。
『今や統合軍は陸海空、そして宇宙の脅威をも打ち砕く無敵の軍だ！ 時代遅れの宇宙軍など無用の長物！』
暑苦しいことこの上ない顔が、あからさまな嘲笑を浮かべている。おまけに、話の流れからするとルリとハーリーの会話を、どうやったのかこっそり聞いていたらしい。
『だから小娘！ お前の所のなまっちろい新型をさっさと引っ込めろ！ どうせネルガルあたりから持ってきたんだろうが、”アマテラス”の防衛に宇宙軍の機体は不要！』
「……お言葉ですが准将。あの機体は、避難民をナデシコＢに乗艦させるための護衛役を務めています。”アマテラス”の防衛には一切手を出していないはずですが」
『むむむ……。まあいい。そこでゆっくりと見ているが良いわ』
気を取り直して最後に一つ哄笑を残して、アズマ准将は登場と同様に唐突に通信を切った。
「……何か、熱血親父、って感じですねー」
「……あれは、暑苦しいだけです」
疲れたようにため息を付くと、ルリはハーリーに目を向けた。
「ハーリー君、もう一度”アマテラス”にハッキングしてください」
「えぇ？ またですかぁ？ 今はさっきの対策でセキュリティが総点検されてるでしょうし……。危ないですよ」
「その辺は、頑張ってください。で、キーワードは、『ＡＫＩＴＯ』です」
「はぁ……」
おそるおそる反論を試みるハーリーだったが、ルリはそれを容赦なく切って捨てた。彼女は普段は十分に物わかりがよく、無茶を言い出すこともない。しかし、一度それが必要だと認めると、到底無理だと思えるようなハードルの高い要求をする。一度口にした言葉を、覆すこともない。
結果として、それが正しい判断であったことは、彼女の実績が証明している。
そしてもっともその被害（？）にあってきたハーリーは、とりあえず反論してみたものの、帰ってきたのはやっぱりいつも通りの返事であり、彼は何度目かの諦めのため息を付いた。
「でも、『アキト』って、人の名前でしょう？ 何なんです？ 誰なんですか？」
顔を上げてふと尋ねたハーリーだったが、その時にはもうルリはいつもの場所にはいなかった。艦長席がシートごと前方のブリッジ中空にせり出し、高機動モードへと変わりつつあったのである。
「ＩＦＳフィードバック、レベル十までアップ。艦内は警戒態勢パターンＡ。システム、統括」
「ねー、艦長！ 艦長ってばー！ 教えてくださいよー」
「ハーリー君、お仕事してくださいね」
ルリの周囲に、ウィンドウボールが展開される。三百六十度、球形に彼女の周り全てを覆うウィンドウには、ナデシコＢの情報全てが映し出されている。すがるような声をかけてくるハーリーにすげない一言を返すと、ルリは前方を見据えた。
「……『アキト』……。テンカワ、さん……」
一瞬、ナデシコＡでの騒動の日々が、地球に降り、屋台を引いていた頃の穏やかな日々が瞼をよぎる。十六年の人生で、最高に幸せで満ち足りていた頃の幻に、ルリの口元に思わず笑みが浮かんだ。
『敵、第二ラインまで後退！ 味方の機動部隊、なおも追跡中！』
『見たかね、シンジョウ君！ これこそ統合軍の力、新たなる力だ！』
『はあ……』
『宇宙軍のやつらめ、戦争の時はデカイツラさせたが、今は違う！ 地球連合統合平和維持軍ばんざーい！ ヒサゴプラン、ばんざーい！』
「（……なんとまあ、ここまで宇宙軍が嫌われてるとは……。ミスマル総司令も、風当たり強くて大変だろうなぁ）」
”アマテラス”防衛管制室にこだまするアズマ准将の高らかな笑い声を、こっそり聞いている者がいた。――プリンセスガードで避難の支援を行っていたカイトである。公開ラインで流れているわけではない管制室での会話を、彼が盗み聞きすることが出来た理由は、彼の乗機、プリンセスガードにあった。
この機体には、機動兵器にしては過剰なまでの通信能力が備えられているのである。それこそ、統合軍で使用されている通信に割り込みをかけて傍受することが出来るほどのものが。
さすがに、暗号化された通信を、全てをリアルタイムに解析することは出来ないが、オモイカネとラインを開けば、それも出来るんではないだろうか、などとカイトは考えていた。
後少しで避難民の収容も終わり、カイトがこうして出ていることもできなくなるかもしれない。彼はそれを見越して、先程からオモイカネに確保してもらった特殊回線で、ナデシコＢの位置をアキトへと送信し続けていた。これが、何かの形でアキトの役に立つと信じながら。
と、そこに、
『ボース粒子の反応、増大！』
『何ぃ？』
オペレーターの驚愕に満ちた声が、管制室に新たな波紋をもたらした。
『位置は……！』
カイトも思わず耳をそばだてる。しかし、その必要はなかった。現れた”それ”は、”アマテラス”を挟んでほぼ反対側を固めていた艦隊に、強力なグラビティブラストを放ったのである。その、目には見えない重力波の剣は、防衛艦隊を側面から薙ぎ払い、速やかに大多数を爆光の中へと消し去った。
その結果に、管制室も、カイトも慄然とする。理由は、それぞれ別のものだったが。
『守備隊の側面にグラビティブラスト！ 被害、多数！』
『質量推定……。戦艦クラスです！』
プリンセスガードのコックピットで、カイトは額に流れる汗を拭った。パイロットスーツを着る暇がなかったために、全身に冷たい汗をかいているのがはっきりと自覚できる。
「アキトさん……。ここまでして、何をしたいんだ……」
呟く声には、力が無い。この世で一番信頼している人の一人が、このような無法な行為を行っている。今すぐにでもこんな事は止めさせたい、それがカイトの本音だった。しかし、出来なかった。あの日、二年ぶりにアキトに会ったときに、カイトはアキトを助ける、と誓ったから。
そして、カイトはアキトを信じていたから。アキトは、正当な理由がなければこんな事をする人ではない、と。
――何をもって『正当』、とするかの判断は、一時的にカイトの中から消えていた。『カイト』の世界は、まだ狭いのだ。その中心には、変わることなくナデシコのクルー達、そして何よりアキト達がいた。
『敵艦、なおも攻撃を続行！』
現れた戦艦クラスの存在は、続けて防衛艦隊に攻撃を加える。管制室の緊張が更に高まり、アズマ准将の怒号が響く。
そこにまた一つ、管制室を緊張させる報告が飛び込んだ。
『敵、機動兵器、反転！ これは……、再突入してきました！ ライオンズシックル以下、追撃中の機動兵器部隊、振り切られます！』
『何だとぉ！』
「（アキトさんが……）」
カイトは、浮かせていた手をＩＦＳインターフェイスボールに戻す。その目には、普段のカイトとは少し違う光――今までに数度、戦いの中で見せた、危険な光――を、浮かべていた。
「（じっとなんか……していられるか！）」
外の宇宙空間では、流血の喧噪が再び高まろうとしていたその時。”アマテラス”内部の極秘通路を、ヤマサキ博士とその部下達が足早にどこかへ向かっていた。
「今度は、ジャンプする戦艦かい？」
背広の上に白衣を羽織りながら、ヤマサキは進む。白衣を羽織る仕草が、妙に堂に入っている。おそらく、白衣姿が彼の本来の姿なのだろう。
「ネルガル、でしょうか？」
「さぁねぇ……」
傍らの白衣の男が、それに応じる。しかし、ヤマサキはそれを軽く流して、反対側に付き従う黒スーツにサングラスの男を呼ぶ。
「あの連中は？」
「『五分で行く』、と」
「はぁー、そりゃ大変だ」
口調もセリフも、緊迫感はまるで無い。しかし、歩調が微妙に早くなった。
そして、目的地の一室に辿り着く。ヤマサキは扉を開けるなり、室内で一心不乱に何らかの解析を行っていたらしい、研究員とおぼしき人員達に宣言した。
「緊急発令！ 五分で撤収！ 最重要データのみ持ち出して、残りはオートで”イワト”へ送信、のち自己破壊！ 早くしないと、こわーい人達が来てデータごと消されちゃうよ」
ただでさえ騒がしかった室内が、一層慌ただしくなる。ヤマサキの『怖い人達』の一言は、かなりの効果をもたらしていた。
「ほら、みんな急いで急いで！」
ヤマサキの口調は、やはり変わらない。しかし、やっぱり足下に落ち着きが感じられなかった。
「……状況が変わります。動きますよ。ハーリー君、あなたはハッキングを継続」
「は、はいっ！」
ユーチャリスがジャンプアウトした瞬間、ルリは即座にオモイカネに出港を命じた。オモイカネは彼女の意志に従って、速やかに準備を進める。
『出港準備完了まで、後三分』
ウィンドウを横目で見ながら、ルリは艦内放送のために別のウィンドウを開く。今までのナデシコと同様、戦艦としては異常なまでに居住性の高いナデシコＢには、”アマテラス”にいた民間人のほとんどが乗り込んでいた。
『――避難してきた皆さん。私は艦長のホシノ少佐です。当艦はこれより”アマテラス”を離脱、第二次防衛ライン上に位置して、負傷者の救助に当たります。この艦にいる限り、戦闘に巻き込まれる恐れはありません。皆さん、割り当てられた場所で、静かにしていてくださいね』
一応の義務を済ませた頃には、出港準備はほぼ終わっていた。次いで、ルリは感慨に出たままのカイトを呼び出す。
「カイトさん、そろそろ一旦戻ってください。――カイトさん？」
ところが、側にいるはずのカイトは一向に通信に出てくる様子がない。気が付けば、艦外監視カメラからもプリンセスガードの目立つ白も消えていた。
ルリの胸に、嫌な予感が湧き上がる。カイトの悪い癖を思い出したのだ。
「オモイカネ、カイトさんは？ どこにいるか、わかる？」
『……伝言を預かってます』
オモイカネにしては歯切れの悪い返事に、ルリは思わず眉根を寄せた。
「……内容は？」
『”ルリちゃんへ。あの黒い機体が『こっちに来るかもしれない』ので『前進して警戒に当たる』”……以上です。ちなみに、通信はプリンセスガード側から切られています。どうやら、通常の宇宙軍の機体とはシステムが少し違うようで、こちらからは接続できません』
「また、ですか……。おまけに、悪知恵まで身に付けましたね……」
ＩＦＳインターフェイスボールを握るルリの手に、思わず必要以上の力が籠もる。
「……これは、本気でお説教ですね……」
「……艦長？」
ルリには似合いそうもない、地の底から響いてくるような不吉な声に思わず振り向いてしまったハーリーだったが、彼はその事を目一杯後悔することになる。”妖精の微笑”と、一部で囁かれるルリの微笑だが、ハーリーは、その中でも更にほんの一握りしか知らなかった”微笑”がどんなものかを知ることになったのだ。
ルリの”微笑”は、もちろんカイトの勝手な行動に向けられたものだった。久しぶりに会ったと思ったら、また命令無視の暴走という悪い癖を出したという結論に、当然のように辿り着いたからだ。
今はまだ、それがいつもの暴走だと、カイトを知る人間は思っていた。――今は、まだ。
「ナデシコＢ！ ”アマテラス”より離脱！」
「あんな小娘！ ほっとけぃ！」
「ナデシコＢ所属の機動兵器、コード”ランシフォリウム”、ナデシコＢから離れて移動中！」
「いいから放っておけェッ！ 敵戦艦に反撃ィ！」
”アマテラス”管制室には、相変わらずのアズマ准将の怒声が響く。すっかり頭に血が上ってしまっているその様子に、背後に控えるシンジョウ中佐はすっかり呆れ顔だった。
「ぬぅぅ！ ”キルタンサス”と”よいまちづき”を回せ！ 早くしろ！」
「はッ！」
戦術情報が表示された戦域図を一睨みして、アズマ准将は矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「敵戦艦の側面に、駆逐艦隊を回り込ませろ！ ”コルチカム”が一番近い！」
「はッ！」
頭に血が上っているのは確かだが、奇襲をかけてきた所属不明の戦艦に対する措置は、実に的確だった。事実、目標の戦艦は強力なディストーションフィールドを展開して防戦に回り、先程までのグラビティブラストによる攻撃を中断した。アズマ准将も、決して無能ではない証明である。
しかし、それは『謎の敵戦艦一隻』に対してのものに過ぎなかった。『それ以外』の戦力に対しては、無力とは言わないまでも、非常に脆いものだったのである。
『ラピス……。ラピス……。……ラピス！ やれ！』
ユーチャリスの艦橋、いや、コントロールルームと言う方が正しいその一室で、戦艦と同様に白い少女が、声ではない声の呼びかけに答えて目を見開いた。透明なバイザーの下に見える、幼いながらも人形のように整った、そして無表情な顔に、ナノマシンの光が幾筋も走る。
ディストーションフィールドで守られたユーチャリスから、無数の”バッタ”が放出されたのは、それとほぼ同時だった。
木星戦争で木連に使用された小型無人兵器、通称バッタは、その優秀性が再評価され、統合軍にも配備が検討されている。しかし、今現れたその群は、旧来のものを遙かに上回る性能を示した。
『”コルチカム”戦隊被害甚大！ これ以上の交戦は不可能です！』
『何だとぉッ！』
”アマテラス”管制室の悲鳴がそれを裏付けている。バッタの群は縦横に暴れ回り、防衛艦隊を思うがままに翻弄する。火力は小さくとも、駆逐艦クラスではそれも馬鹿に出来ない。戦艦クラスでも、まとわりつかれては思い切った行動がとれない。バッタの群は、ただでさえ足並みの乱れた防衛艦隊を更に混乱させる。
そして、その一派は、黒い機体を追うリョーコ以下ライオンズシックル中隊にも襲いかかり、その足を止める。
『チッ！ オレの相手はヤツだ！ オメーらなんかじゃないんだよッ！』
リョーコは、小型目標には不向きな専用レールキャノンを脇に下ろし、ラピッドライフルを構える。狙い過たずに、真っ先に接近してきた一機を叩き落とすが、バッタは次々に現れる。
他のライオンズシックルの面々も奮戦するが、すぐには排除しきれない。数は力、なのだ。
そして、バッタの群は次々と背面に仕込んだミサイルランチャーを開き、雨霰とミサイルを撃ち込んでくる。一瞬後、その空域が爆発光で埋め尽くされる。
しかし、リョーコは巧みな操縦で、その場を真っ先に抜け出した。
『逃がすかよぉっ……！ そこか！』
凄まじいとしか言いようのない的確さで、リョーコは一旦見失った黒い機体を再確認する。それは、既に最終防衛ラインを抜き、”アマテラス”に再接近しようとしていた。専用レールキャノンを遠距離から連射するが、ディストーションフィールドを一瞬きらめかせただけに終わってしまう。
『目標の一部破壊。本体は無傷――。残念賞！』
『ヘタクソッ！』
愛機のＡＩが告げる結果に、リョーコは舌打ちで答えた。レールキャノンを一方的に撃ち込んだにもかかわらず、ほとんど無傷だったことに苛立って当然だろう。
と、そこに、一歩遅れてバッタの群から抜け出してきた部下達が追いすがる。数はわずか一個小隊四機だが、リョーコには非常に頼もしく思えた。
『隊長！ お供します！』
『付いてこれれば、なっ！』
開いたウィンドウに映る部下達を一瞥して、リョーコはエステバリスカスタムを一気に加速させた。遅れて、エステバリス量産型が四機、後を追う。
ついに、謎の黒い機体が”アマテラス”に取り付こうかという状況が訪れた。
「不意な出現、そして強襲……」
『今のおさらい』と題したウィンドウが開く。そこには、特徴的にデフォルメされたアズマ准将のマークが陣取る”アマテラス”、リョーコマークのライオンズシックル、そしてルリマークのナデシコＢが描かれている。隅には『オモイカネ』作のマーク、更に芸の細かくなった『彼』である。
「反撃を見透かしたかのような、伏兵による陽動……」
図上に現れた”敵”のマークが、リョーコマークに追い返される。しかし、余裕の笑いを浮かべるアズマ准将マークを、次いで現れた”謎の戦艦”マークによる攻撃が一変させる。リョーコマークも、背後の騒ぎのせいか、一瞬追撃の手を緩めてしまう。
「その間に、突入ポイントを変えての再強襲」
側面からの攻撃に防衛艦隊が混乱している間に、”敵”のマークは防衛戦を迂回して、易々と”アマテラス”に肉迫する。この状況では、もはや”アマテラス”本体への被害も避けられないだろう。
ちなみに、ルリのマークのナデシコＢは、混乱を余所に悠々と”アマテラス”を離脱している。
『やりますねぇ』
パイロットスーツに身を包み、自らの機体、”スーパーエステバリス”のコックピットで待機中のサブロウタが、ウィンドウ越しに口笛を吹く。
「気付いたリョーコさんもさすがです」
ルリがそれに穏やかに頷く。表情がおだやかになっているところを見ると、既に感情を押さえ込んだようだ。しかし、ハーリーは黙々とハッキング作業を続け、顔を上げようとしない。どうやら、先程の衝撃からまだ立ち直っていないらしい。
『どうします？』
サブロウタの言葉には、色々な意味合いを含んでいる。『宇宙軍』として『独自に』動くか、緊急の事態を収拾するために、統合軍に手を貸すのか。
そして、ルリの答えは実に辛辣なものだった。
「もちょっと、待ってください」
『は？』
「”敵”の目的。”敵”の本当の目的、見たくありませんか？ もう少ししたら、『通信が途絶』して、『独自の判断で行動』しているカイトさんか、”敵”を追撃しているリョーコさんから何かわかると思いますから」
『……了解』
追撃を続けるライオンズシックル中隊は、”アマテラス”本体の外壁直前で、再びブラックサレナを射程に捕らえた。せめて足を止めようと、リョーコがレールキャノンを、部下達がラピッドライフルを惜しげもなく叩き込む。
強力極まるディストーションフィールドの前に、それらの攻撃は何の効果も上げていないかに見えた。
――しかし。
『損傷軽微。しかし、これ以上のダメージは機動性に影響を及ぼす可能性あり――危険！』
「チッ……。やはり、ただでは通れない、か……」
舌打ちして、アキトは口元を歪める。反撃しようにも、『今の状態』では後方に攻撃することは不可能だ。レールキャノンは破壊力は大きいのだが、砲身が固定式のため、使おうと思ったら反転しなくてはならない。しかし、今は一分一秒が惜しい。加速を殺すような機動は論外だった。
「ならば……」
アキトは、ＩＦＳインターフェイスとは別の、手元のコンソールのボタンの一つを押す。
『高機動ユニット、強制解除！』
即座に、ウィンドウに、大きく文字が踊る。ブラックサレナの機体のあちこちから、小さな火花が上がる。見る間に、それまでブラックサレナを構成していたパーツが、一つまた一つと脱落し――、後方から追いすがる、ライオンズシックルに襲いかかった。
脱落した装甲は、爆薬を内蔵しているわけでもない、ただの質量の塊なのだが、加速の付いた状態で衝突すれば、その破壊力はミサイルにも劣らない。
『うわっ！』
『すいません、隊長！』
『脱出します！』
驚異的な反応で、襲い来る装甲だったものをかわしたリョーコ以外は、衝突のダメージで次々と戦闘不能に追い込まれる。
そして、歯がみするリョーコの前に、ついにブラックサレナは真の姿を現した。
『……くそっ！ てめーはゲキガンガーかよ！』
装甲板の下から現れたのは、闇よりもなお黒い色に全身を染めた機体だった。それまでの、翼を広げた竜のような姿ではなく、エステバリスより一回り大きな、如何にも重厚そうな、甲冑にも似た装甲を纏った機動兵器である。
高機動ユニットを排除したことで、ブラックサレナ単体の速度は落ちている。しかし、それを補って有り余る機動性が、差し引きゼロ、いや、僅かにアキトにアドバンテージを与えていた。その差を活かし、ブラックサレナは外壁沿いに進んでいく。
『ちくしょおっ！』
『撃ぅち落とせェッ！ 撃てェッ！ 撃ちまくれぇーっ！』
リョーコの声に、アズマ准将の怒号が重なる。”アマテラス”周辺で行動している全ての機動兵器のコックピットに、最優先命令として准将の声が入ったのだ。開いたコミュニケに映る准将の顔は、すっかり力みかえって青筋が立っている。
外壁にびっしりと配備されたエステバリス砲戦フレーム部隊が、怒号に対抗するかのごとく、ブラックサレナ一機に対して砲弾を雨霰と浴びせかけた。まさに弾幕、例えジン・タイプでも、この火力の壁の前では一瞬でぼろぼろにされただろう。
ブラックサレナの黒い姿が、弾幕の中へと消える。”アマテラス”の管制員達が、歓声を上げる。背後に追いすがっていて危うく弾幕に巻き込まれかけたリョーコが、自分の手で落とし損ねた悔しさからか、舌打ちをして加速を停止する。
『撃てぇーっ！ 落とせッ！ 弾が尽きるまで、撃って撃って撃ちまくれぇッ！』
興奮のあまりハイになっているのか、アズマ准将は怒号を上げ続ける。管制員達は、それを横目で眺めながら安堵のため息を付く。常識で考えれば、あの弾幕に巻き込まれて無事でいるわけがないのだ。管制室の緊張が、その時切れた。
彼らを責めることは出来ないだろう。あれでブラックサレナが健在だと考える方がどうかしている。それが”常識”だ。
「いけるな？ ラピス」
『うん。やるよ？ 第十三番ゲート、開放……』
――しかし、ブラックサレナは、彼らの”常識”でくくれる相手ではなかったのだ。
その瞬間、管制員達は目を見張った。”アマテラス”のシステムが、彼らの意志を無視して動き出したのだ。管制室は、再び混乱に包まれた。
「外部からのハッキングです！」
「防壁、展開されません！」
「十三番ゲート、開かれます！」
「……十三番？ なんだそれは？ わしゃ知らんぞ？」
生粋の軍人であるアズマ准将は、突然始まった事態に、途方に暮れたように呟きを漏らす。彼にとって馴染みのない電子戦では、とっさには指示も出てこない。
「それが、あるんですよ、准将閣下」
「どういうことだ、シンジョウ君？」
と、背後から彼の副官が声をかける。振り向いたアズマ准将は、軽い驚きに目を見張る。そこそこ優秀ではあっても、覇気という物には縁の無いような印象しか持たなかったシンジョウ中佐の目に、強烈な意志の光を見たからだ。それは、物理的な圧力すら感じさせる、そう言う視線だった。
「茶番は終わり……、ということです」
管制室がハッキングの対応に右往左往し、アズマ准将がシンジョウ中佐の変貌に驚愕する中、一度レーダーから消えていた所属不明機が再び現れる。
「て、敵機動兵器、健在です！ 開放されたゲートへ向かっています！」
「なんだとぉッ！ 貴様ら、どこを見ていたッ！ すぐに叩き落とせェッ！」
慣れない事態への柔軟さにはかけるアズマ准将だが、得意の分野になれば対応は迅速を極めた。再び管制室に怒号が轟く。
「ダメですっ！ 既にエステバリス部隊の射界を外れています！ ライオンズシックルの機体が向っていますが、間に合いません！ ナデシコＢの新型も来ましたが、こちらも無理です！」
「おのれぇぇぇっ！」
今度こそ、湯気を吹き出しかねないほどに頭に血を上らせ、アズマ准将が地団駄を踏む。その背後で、シンジョウ中佐はやってきた黒服に何事か囁きながら、スクリーンに映るブラックサレナを眺めやった。
「人の、執念……」
ゲートをくぐって消えるその姿に、シンジョウ中佐は、誰に言うともなく、呟いていた。
「いたっ！ アキトさん！」
通信を遮断してナデシコＢを離れたカイトは、多少迷いながらも、ようやくブラックサレナを補足した。ちょうどゲートをくぐろうとしているこのタイミングで発見できたのは、好運に属する出来事だろう。ナデシコＢの支援を受けていれば、苦労せずにもっと速く追いついていただろうが。
少し離れたその後方からは、赤いエステバリスカスタムが続いている。カラーリングからして、リョーコに間違いない。懐かしさに思わず声をかけたくなったが、その衝動を堪えてカイトはプリンセスガードを加速させた。
「……お先にっ！」
通信できない今の状態では、挨拶もままならない。声を届かせることは出来ないが、とりあえず一言謝ってゲートに飛び込む。
”アマテラス”内部は、ろくな照明もされていないため、薄暗かった。通常の機動兵器よりも二周り大きい機体を内壁に擦らせないよう注意しながら、それでも加速をほとんど落とさずに、カイトは通路を駆け抜けていく。
「……アキトさん……。貴方の目的、見せてもらいます……」
アキトは、もうかなり先に行ってしまっているらしい。目の前に見える、更に深部へと続くらしい縦穴に、カイトは機体を躍り込ませた。
つづく
後書き
皆さんどうもすいません。遅れたあげく、また伸びました_(__;)_
今後とも、どうかお見捨て無きようお付き合いくださいませ〜。
ではまた。
最後に、この作品を掲載して下さった河田さん、本当にありがとうございました。
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「機動戦艦ナデシコ」はジーベックの作品です。
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