機動戦艦ナデシコ
Digital Fairy Tales
〜in "The blank of 3years”〜
作：たのじ
この作品は、カスケードスタイルシート(以下CSS)によってレイアウトを調整しておりますので、CSSに対応していないブラウザで表示させると、かなり見苦しいことになります。まことに勝手なお願いですが、CSS対応のブラウザでご覧になるようお願いします。
第八話 対決！『木連忍者部隊』（前編）
＜２１９９年３月某日 薄曇り＞
現在、私たちはとっても暇。訂正、私たち居残り組はすごく暇。
理由は簡単。ユリカさん、私、メグミさん、エリナさんを除くみんなは極冠遺跡の調査に出かけてしまったから。
居残り組の私たちは、ナデシコに乗っていたときはお仕事はたくさんあったけど、ナデシコがなければお仕事がない。それに、調査行はハードなものになりそうだから、という理由で私たちは置いていかれた。
……火星の広野で一ヶ月近くもトレーラーに乗って過ごすのは確かにハードよね。
私も、みんなのお荷物になって迷惑をかけるのは嫌だし、これも適材適所というやつでしょう。私達に出来ることは、無事にみんなが帰ってくるようにお祈りすることくらい。
一応、偉い人たちのあいだでは和平交渉の予備会議みたいな話し合いは行われているみたいだけど、私達はお呼びじゃないらしく宿舎で待機中。心配する以外にすることが無く、私達は暇を持て余しているというわけで。
でも、エリナさんだけは妙に忙しそうにしてるのよね……。
また、何か企んでるのかしら？
ホシノ・ルリ
火星の原野を、トレーラーの群が砂煙を蹴立てて進んでいく。極冠遺跡調査団が水素エンジン式のトレーラーに分乗し、一路北を目指して探索行を続けるその上空には、地球、及び木連が共同で組織した警護の部隊が併走している。
木連からは、かつてナデシコクルーに『ゲキガンタイプ』と呼ばれていた大型機動兵器、『ジンタイプ』の部隊から八機が出張っていた。
そして地球側からは、ナデシコクルー達の操縦するエステバリス部隊が警護にあたっている。数は木連側より少ないが、ナデシコのエステバリス部隊は、いずれも実戦経験豊富な、一騎当千の地球側のトップエースばかりである。
ナデシコも今は無く、重力波によるエネルギーの供給が不可能なためエステバリスの長時間の活動は無理かと思われていたが、この問題はアキトとカイトが相転移炉内蔵式の月面フレームに乗り、三人娘の空戦フレームにエネルギーを供給することで解決した。
なお、このエネルギー供給システムの構築にセイヤの尽力があったことは余談である。
一体いつの間に？ というのが他の一同の感想だったが、その質問にセイヤは実に嬉しそうに、
『こんな事もあろうかと！』
と答えたのだった。
こうしてエネルギーの心配もなく、ミナトが誘拐されたこともあり、不意の襲撃に備えてナデシコのエステバリス隊は木連側以上に緊張して周囲の警戒を行っているはずだった、が。
『カイトくぅ〜ん。人畜無害な好青年です、って顔してやるじゃなぁ〜い』
ヒカルが心底楽しそうな声でコミュニケのウィンドウからカイトを眺めている。しめし合わせていたようにイズミのウィンドウが開き、誰の真似をしているのか妙な声色で話し始める。
『”行ってらっしゃい、カイトさん””じゃ、行って来るよ”』
『だって〜！もー、ラブラブ、って感じよねぇ〜。にくいよこのロリコン男ぉ！』
『ヒカルさん……。勘弁してくださいよ……』
『で、アキト、実際のところどうなんだ？』
『ん〜、そうだなぁ……』
『リョーコさんまで……』
という具合にカイトで遊んでいる一行であった。出発間際のやりとりをネタに、いい暇つぶしとばかりにカモにされているのである。
以前なら標的にされるのはアキトの役割だったが、ユリカとの結婚が決まって落ち着いてしまったせいか、矛先がカイトに変わっていた。
『でもさぁ、ルリちゃん、ちょっと見ないうちに結構変わったよねぇ』
『そう？ ヒカルちゃんはどう思った？』
完全に三人娘と共に楽しんでいるアキト。
んーっ、とヒカルは少々考えている表情を浮かべる。
『なんか表情が豊かになってたし』
『背も伸びたんじゃないか？』
と、リョーコ。
『体型も変わってきてたね』
と、イズミ。
さすがに女性陣は、パイロットというせいもあってか、観察力は見事なものがある。ところが、同居しているはずのアキトとカイトは、
『そんなに変わりましたか？』
『確かによく笑うようになったけど……』
このていたらくであった。
『こぉら二人とも！それでも思春期の女の子の保護者ぁ？ ちゃんと見ててあげないとルリちゃんぐれちゃうぞ！』
『いや、それはどっちかというとユリカさんの役目じゃ……』
ウィンドウごと迫ってくるヒカルの剣幕に引くカイト。逃げを許さずヒカルの追求は続く。
『特にカイト君！ ルリちゃんがおしゃれしてたのにちゃんと気づいてた？』
『えぇ？ ナデシコのユニフォームでおしゃれも何も』
『髪留めよ！ ちゃんと毎日変えてたよ？ ねー、リョーコ？』
『ああ。毎日、ってのはオレも気づかなかったけど、ちょくちょく違うのつけてたな』
うんうん、ウィンドウの向こうで頷くリョーコとイズミ。アキトは飛び火を恐れてか沈黙している。
『女の子はね、見られて、褒められてどんどん綺麗になるんだよ？ ”あの人が綺麗だって言ってくれるように、もっともっと頑張ろう”ってね！ だからカイト君が見てあげなきゃダメじゃない！』
『それは判りますけど、ならアキトさんだって。どうして僕なんです？』
自分への追求を逸らそうと、アキトに水を向けるカイト。アキトの方は、”こっちに振るな！”という顔しているが、カイトにはそんな余裕はないらしい。
しかし、カイトの努力もむなしく追及の手は続くのだった。
『それを私に言わせるのぉ？ このロリコン！』
『ですから〜！』
『年齢だったら大丈夫！ルリちゃん今年で１４だから法律の問題もオッケーだし、もしものときは二年後に責任とればいいんだから！』
『これはいわゆる”光源氏計画”ってやつね……』
『あっははは！ そりゃいいや、上手いぞイズミ！』
『１５歳未満はまだ色々と問題あるけど、ばれなきゃいいかな？』
『でも、実際手を出すようなら本物ね』
『皆さん、もしかして煽ってるんですか！？ いや煽ってますね！』
この探索行の間中、三人娘のおもちゃはどうやら決定したようである。
「な〜んか、上は楽しそうだねぇ」
そう言ったのは、自らナデシコクルーの乗るトレーラーのハンドルを握っているアカツキ。隣には、ジュンとプロスペクターが座っている。
アカツキの好みからすれば、隣には女性を乗せたいのだろうが、生憎と同行している女性陣はイネスとユキナ二人だけ。しかもその二人は、セイヤと一緒に後部貨物室に居る。
ちなみに、本来ユキナはユリカ達と共に残るはずだったのだが、本人のたっての希望で調査団に入っていた。彼女の、一刻も早くミナトに会いたい、という希望を汲んだ上でのことである。
また、ゴートはアカツキの護衛のシークレットサービスを使ってそのミナトの捜索を行っているため、独立した行動をとっている。
「リラックスしている証拠でしょう。まあ、もう少し緊張感を持って欲しいものですが……」
相づちを打つプロス。この二人は泰然としたものだが、三人目のジュンは、落ち着かなげに座っている。その視線は、出発して以来まったく安定していない。
「結局、誘拐犯からの接触はありませんでしたね……」
「こうも派手に警戒されちゃあねぇ。ゲキガンタイプとエステバリスが合計十三機だ。僕なら近づきたくないね」
「とは言え、こうなることが解らないほど犯人達も馬鹿ではないでしょうから」
「やはり、出方を待つしかないんですか……」
ため息をつくジュン。根が真面目なだけに、思い詰めるとひたすら沈んでいくタイプなのである。
「走り回っているゴートさん達には気の毒ですが、結局そーゆーことになるでしょうな」
「しかし、アオイ君。当事者とは言え随分とミナト君のことを気にしてるじゃないか。 艦長にふられて、ミナト君に乗り換えたのかい？」
雰囲気を変えようと、話を別の方向に持っていくアカツキ。微かに笑っているその表情から、からかっているのは明らかなのだが、ジュンはてきめんに反応した。
「そ、そんなんじゃありませんよ！ ふ、ふられたからとかそう言うのじゃなくて、ミナトさんが居なくなってからユキナちゃん元気なくなっちゃってるし、そんな顔を見てるのは辛いし、僕がもう少ししっかりしていれば防げたことなんですし……」
その狼狽えぶりをにやにやとしながら見ているアカツキ。
「そうか、ミナト君じゃなくてユキナ君だったのか。意外だったねぇ、君にそんな趣味があったとは」
「何、い、い、言ってるんですかアカツキさん！ そ−ゆーんじゃなくて僕は純粋にですね！」
プロス越しにジュンをからかうアカツキ。プロスはハンドルが心配そうな顔をしているが、口には何も出さずに視線を向けるだけだった。
そして、もの言いたげなの視線をさらりと無視したアカツキがジュンへの攻撃を再開しようとした矢先、コミュニケのウィンドウが開き、セイヤが現れた。
『いよう、お取り込み中失礼するぜ』
「何の用だい？ ウリバタケ君」
これから面白くなろう、というところを邪魔されたアカツキは棘のある視線と言葉を向けるが、セイヤはそれを受け流す。
『つれないねぇ、落ち目の会長さんよ』
「落ち目は余計だよ」
そしてひとしきりアカツキと心温まりそうな会話を交わした後、ウィンドウがジュンの前に移動した。
『ちょっと来てくれ、出来ればプロスの旦那もな』
「そりゃ構いませんが、何の用ですかな？」
怪訝そうな顔をする二人に、セイヤは実に簡潔な説明をした。
『イネスさんが呼んでんだ。何か話があるんだとよ』
「解りました。ではアオイさん、行きますか」
「はい」
よっこいしょ、とシートから立ち上がるプロス。そしてその後を、若いにも関わらず重い足取りでジュンが後部へと向かって行った。
後部の貨物室は、イネスの研究機材と、セイヤの工具及びエステバリスの交換部品（一部）が所狭しと並べられ、どこぞの研究室とも作業場ともつかない場所となっていた。狭い場所に大量の荷物を積み込んであるので、荷物の隙間の通路は人一人通のがやっとという有様であり、歩き難いことこの上ない。
その荷物の群を抜けると、ようやく小さなスペースがあり、作業台と端末が設置されている。
そこで連れだってやって来た二人が最初に見たものは、難しい顔で端末を眺めているイネスの横顔と、画面を興味深そうに覗いているセイヤ、そして二人から離れて所在なげに立っているユキナの姿だった。ユキナは二人が来たことにいち早く気づき、しゅたっ、と擬音付きで手を挙げて小さく微笑んだ。
しかし残りの二人は気づいた様子もなく、端末から目を逸らそうとしない。前に立っていたプロスが声をかけようとしたその時、二人の姿が視界に入ったのかイネスがイスごと振り向き、前置きも無しに問いかけた。
「早速だけど、アオイ君、プロスさん、あなた達のコミュニケ、今何時を指してるの？」
いきなりの質問に疑問符を浮かべる二人だったが、すぐにコミュニケに視線を落とした。
「太陽系標準時だと、時刻０３０９ちょうどですけど」
「私の方は同じ……いや２，３秒早いですな」
それが何か？ と二人はイネスに目で問いかける。その視線を綺麗に無視して、イネスは続けて質問を重ねた。
「二人とも、最後に時間設定を合わせたの、いつだったかおぼえてる？」
「僕はこれをもらってから、合わせたのは……。ナデシコを降りる直前だったと思います」
「私は、今回の火星行きが決まってからですかな」
答えを確認したイネスは、二人から視線を外すと、真剣な表情を更に深刻にして考え始めた。
「なるほど、約三秒の遅れか……。とすると、狂ってるのはやはりナデシコの時計だった訳ね……」
「あの、それが何か？」
イネスの話の展開にまるでついていけないジュン。言っていることは至極簡単なことなのだが、その意図がまったく分からない。
そのジュンに、今まで退屈そうに立っていたユキナが助け船を出した。
「ナデシコが最後にボソンジャンプしたときに、時間がずれちゃったんですって」
良く分かんないけど、と態度で付け加えるユキナ。その姿はいつもと変わらない元気なユキナのものだったが、ミナトの件に関して責任を感じ、また落ち込んでいるユキナの姿を見ていたジュンには、空元気を出しているような、痛々しい姿に見えてしまう。
だが、そんなジュンに構わず、プロスは誰にともなく呟いた。
「ですが、ナデシコは最初のボソンジャンプに八ヶ月もかけたましたが？ 今更三秒くらい、どうということはないんではないでしょうか」
「あま〜い！ 甘いわよプロスさん！ 今回のずれには、大変な問題が含まれているのよ！」
その言葉と共に立ち上がったイネスの背後には、どこからともなく巨大はホワイトボードが現れ（どうやら自走式らしい）、その意味を察したセイヤが投げやりに呟いた。
「あー、はいはい、説明は手短に頼むぜ、イネスさんよ」
「それでは……。おほん。ボソンジャンプが、物体を素粒子レベルまで分解し、各種フェルミオンから、時間を遡航するボソンに変換することで時間移動を行って、空間移動にかかった時間を相殺する、ということはもう知ってるわよね」
「えと、火星の遺跡で説明した話よね」
ユキナがそう答える。もっとも、その顔はまだ話の中身を理解しているようには見えないが。
それは決してユキナだけではなく、その場にいる人間の中で、ボソンジャンプ理論を完全に理解しているのはイネスくらいのものである。
「ええ、そう。この時間遡航ボソンに、私は発見者の特権としてレトロスペクトと命名したの。ボソンジャンプをする場合、消失地点、要するにジャンプに入った地点ではこのレトロスペクトが、そして出現地点、すなわちボソンアウトした地点では通常の様々なボソン、つまり……、光子・π中間子・Ｗボソン・重力子等……、が、それぞれ検出されるの」
「ふえ〜？」
「……おい、解るか」
「僕は理系は苦手で……」
「……おじさんにはちょいと難しいですなぁ」
一同はそれを理解しようとしているが、素養のないユキナはもとより、ある程度の教育を受けているはずのセイヤ、プロス、ジュンにも内容が高度すぎてどうにもならないようである。
「正確な例えじゃないけど、まあ、海に潜るときと、出てきたときの水しぶきみたいなもんね」
「……話がなげーよ、イネスさん」
「ふにゃ〜、知恵熱がでそう……」
「大丈夫かい、ユキナちゃん」
「外野うるさい！もうちょっとだから辛抱する！」
白衣をひるがえして指し示した先のホワイトボードには、二枚のグラフが浮かび上がっていた。どちらも二次元のグラフで、横軸は時間、縦軸はボソンの検出量を表している。
そして左のグラフは綺麗な釣り鐘状の正規分布曲線を描いているが、右のグラフは、釣り鐘の頂点が右にずれたいびつな形をしており、更に本来釣り鐘の頂点であるとおぼしき点をピークとした、鋭い山が描かれている。
「普通は、消失点のレトロスペクトも出現点の通常ボソンも、ボソンジャンプの瞬間に最大値となり、その前後では正規分布を記録するの、ところが……」
『ところが？』
声を合わせる一同。
「右側のグラフを見てちょうだい、山が右にずれ、元々最大値を指していた時刻のところに、鋭いピークが、違う色の線で示されているでしょう」
『ふむふむ』
「前回のナデシコのボソンジャンプ時の記録がこれ。消失時は通常通りなんだけど……」
「この山が右にずれているのが、出現が三秒遅れたことを表しているんですな。で、この色違いの鋭い山は何を表しているのです？」
眼鏡の位置を直しつつ、プロス。
「それは、通常は出現点では観測されないはずの、レトロスペクトなのよ」
「……ナデシコの出現が遅れたから検出された、ということではないんですね？」
続いてジュンが確認する。
「ええ。通常は時間にずれが生じても、出現点にはレトロスペクトは検出されないはずなの」
「もー、で、それが観測されたから何だってのよー？ 早く結論を言ってよー、ぷんぷん」
かんしゃくを起こす一歩手前の様子のユキナが騒ぎ出す。
「これはまだ仮説に過ぎないんだけど、このレトロスペクトは、ナデシコが最初に出現した時刻を表しているんだと思うの」
「はて？ 最初に出現？ それはまたどういう意味ですかな？」
「つまり、本当はあの時、ナデシコは時間のずれなく、ジャンプに成功したんだけど……」
一旦言葉を切るイネス。
「この一年で三秒、出現時刻がほんの少しづつずれていったってこと。だから、その時のパラドックスが、レトロスペクトの形で検出されているのよ」
「……ってちょい待ち。じゃ何かい？ 俺達の知らない間に、ボソンジャンプのずれがどんどん拡大してるってのかい？」
そこまで質問もせずに説明を聞いていたセイヤだったが、突然顔色を変えて立ち上がった。他の三人は、何事かとセイヤを見上げている。
「そうなのよ。戦争中の木連部隊の記録もつき合わせて検証中なんだけど、まず間違いないわ」
「間違いないわって……、そりゃ大変じゃねえかよ！」
イネスの答えに、セイヤの顔色はどんどん悪くなっていく。
「だから、何がどーしたってゆーのよ！？ ちゃんと解るように説明してよー」
「んもう……。それじゃ、かみ砕いて手短に解りやすく説明して上げるわ。時間という物を、一本の線と思ってちょうだい。私達はこの時間の流れに乗っているから、通常、この流れに沿って常に過去から未来へと流れているわ」
ホワイトボードのグラフが消え、変わりに一本の線と、その線上の点Ａが現れる。そして説明を始めると同時に、不機嫌な表情を消して、楽しげに語り始めるイネス。
「ボソンジャンプする際、私達は空間を移動すると同時に、時間を逆行することによって、空間を移動する際に費やすはずの時間を相殺する、というのが通常の場合。しかーし！」
ぴしっ、とその手が時間線上の点Ａを指し示すと、その隣りに点Ｂが現れ、ゆっくりとだがＢがＡから離れていく。
「前回のボソンジャンプにおいて、何らかの要因が加わって時間が相殺できなくなった……、いやそれどころか、ずれが拡大しつつあるわ。これ自体は過去の出来事だけど、私達の時間線の過去である以上、当然現在の私達に影響を与えるの。よって、出現時間の狂いが大きくなるにつれて、私達のずれも大きくなる……」
さらに、深刻な顔で、これはナデシコだけの問題じゃないわ、と付け加える。
「今はまだ秒単位だからたいしたパラドックスは起こっていないけど、これが分単位で狂いだしてご覧なさい」
「今までの戦闘結果が、大きく変わる……、ということもあり得ますな」
イネスの話をようやく理解し、事の重大さを理解したプロスがゆっくりを口を開いた。その隣のジュンは、理解したことで受けた衝撃からいまだ精神的再建を果たせずに青くなっている。
「そう、ましてや時間単位で狂いだしたら、本当に歴史の流れが変わっちゃうわ。もっとも、変わったとたんにそちらの時間線にみんなそろって乗り換えちゃうから、誰も気づかないでしょうけどね」
深刻そうな口調から、最後は一転して冗談めかした口調で語るイネス。だが、その場の雰囲気はそんなものではまったく変わらなかった。
「ねえ、それって……、もしかし凄くヤバくない？」
「……めちゃくちゃヤバい」
ユキナとセイヤの短いやりとりが終わると、その場に沈黙が降りた。
夕暮れと共に荒野の行軍は終わり、キャンプ地の設営が始まっていた。一夜の宿となるキャンプの設置が終わると、役割分担の上で料理が始まる。
意外と慣れた手つきで鉄板の上の肉を焼くセイヤ、そしてこれまた器用に野菜を刻んでいくプロス、化学実験でもするつもりなのか、ビーカーを持ち出して水の量を量りながら米をといでいるイネス。
料理の腕で劣るアカツキとジュンは、テーブルを設置し、その上にユキナが皿を並べていく。
いつもならば料理の腕を振るっているはずのアキトは、カイトや三人娘と共に引き続き警戒に当たっているためここにはいない。
イスを設置する手を止めて、伸びをしながらアカツキが言う。
「なーんにも無い砂漠を延々走って、遺跡まで片道十日……。まるでラリーにでも出場した気分だね」
「和平交渉中のせいで宇宙船が使えないですから、時間もコストも余計にかかりますし……、何より疲れますね」
「そうそう」
隣でイスを並べているジュンと、テーブルの向かい側に立って今度は箸を並べ始めたユキナが相づちを打った。やがて肉を焼くのに一段落したのか、セイヤが手を休めながらおもむろに口を開く。
「まったくだ。食料に車の部品、燃料その他諸々、往復分と調査期間を合わせて一ヶ月分、運んでるだけでも荷物が膨れ上がって大騒ぎだぜ。だいたい水素エンジンのトレーラーなんて年代物、よくこれだけ調達できたもんだ」
修理や調整や改造するのはなかなか面白かったけどよ、と最後に付け加えるセイヤ。
「これも仕方がないさ。だいたい、政治なんてものは常に大いなる無駄の上に成り立っているのさ。為政者の本音と建て前、それに形式や見栄、そこには常に政治に必要な無駄がある。ま、これで両軍の首脳部が枕を高くして眠れるって言うなら安いものさ」
「よ、流石は大物政商、言うことが大人だねぇ」
セイヤが明らかに皮肉と解る口調ではやし立てる。それを薄笑いでかわすアカツキだったが、プロスが追い打ちをかける。
「まあ、随分と落ち目ですがね。何せネルガルの株は休戦以来、戦争の黒幕だったことがばれたりなんだりで急降下。責任とって引退しろと株主やら重役から突き上げられてますからなぁ」
「そんな大変な次期に、火星まで来てこんなことしてて良いんですか？」
「ははは、みんなナデシコの仲間じゃないか、何を水臭い」
こちらは皮肉ではなくそう言うジュンに、笑顔で答えるアカツキ。セリフは感動的なのだがその笑いは乾いており、一目で裏があるとわかってしまう。
「追求逃れの時間稼ぎのついでに、地球と木連の首脳部に恩を売りつけ、さらにはそれを持って立場を良くしよう、というところですか」
「プロス君……。君、最近遠慮がなくなってきたんじゃないかな？」
「何せ古狸ですからなぁ」
「もしかして、根に持ってたのかな？」
「はて、何の事やら……」
その時、そういう世界とは無縁のジュンが冷や汗をかくような大人の会話を交わすアカツキ達を横目に見ながら、準備の終わった料理を盛りつけ始めていたユキナが、素っ頓狂な声を上げた。
「あれぇ？ 何これ？」
「ユキナちゃん、どうしたんだい？」
「お皿の底に封筒が張り付けてあるの」
怪訝な顔で手の中の封筒を眺めるユキナ。ジュンも封筒をひっくり返してみたが、それには宛名も何もなく、ただ真っ白な封筒だった。大したものが入っている様子もなく、薄く、軽い。
封を開こうとしたユキナだったが、その直前に、すすっ、と後ろから手を伸ばしたプロスが封筒をユキナの手から取り上げた。
「あ」
「どれどれ、ちょいと拝見……」
慣れた手つきで封を開いたプロスの周りに、一同が集まって手紙を覗き込んだ。そしてプロスが読み上げたメッセージは、実に短く、解りやすいものだった。
「何々……『我々が預かっている女の命を助けたければ、フレサンジュ博士と彼女の持つ遺跡のデータを引き渡せ。交換場所は追って指示する』……どうやら誘拐犯からのようですな」
「えぇーっ、……むぐ！」
「騒いじゃダメだってばよ！ 俺達以外の奴らは犯人との交渉なんか許す気無いんだからさ！」
声を上げかけたユキナの口をセイヤが慌ててふさぎにかかる。そして、目を白黒させているユキナの周りで、彼らは声を潜めて相談を始める。
「一体いつの間に……」
「チャンスは、みんながキャンプの設営をしていたこの一時間程度の間しかなかったはずね」
「しかも、怪しまれずに僕らのトレーラーに近づいて、この封筒を仕込めたとなると……」
「護衛や随行のスタッフの中に、犯人の一味が紛れ込んでいることになるわね。考えておくべき問題だったわね……。」
「ですなぁ……。内部にスパイを潜ませる、こんな事を忘れていたとは……。ミナトさんをさらわれて、私達も結構冷静さを失っていたんですな」
その深刻な結論の前に、言葉を失って考え込む一同。
ナデシコ時代から見知ったクルーや、新参とは言えミナトに保護されている身で、疑う余地がまるでないユキナと、最初こそ怪しかったが今では身元がはっきりしているカイトは別としても、数十人の調査団の中に紛れ込まれてはスパイに手を出す方法がない。
ましてやこの調査団は地球・木連双方から出された人員で構成されており、見付けるのは至難の業であり、警戒するのも難しい。スパイにいいように動かれてはこちらがどれだけ不利になるか、それこそ考えるまでもない。
そうして深刻な顔をつきあわせている一同の所に、どこからか三郎太がやってきた。のんきに鼻歌など歌いつつやって来た彼は、そばに来てようやく場の雰囲気がおかしいことに気づいたようだった。
「どうしたんですか？みなさん、深刻そうな顔しちゃって。あ、食事、まだでしたか？ 結構期待しちゃったりしてたんですが」
明るい声でそう言う三郎太。彼の出現に、一同は無理矢理顔を元に戻して平然さを装った。
「いや、丁度タカスギさんの舌に合うかどうか、と味見をしていたところでして。 そろそろ来て頂こうかと思っていたところだったんですよ」
プロスは、自然な動作ですっ、っと封筒を懐に納めながら、その場を取り繕った。
「そりゃ嬉しいな、私は、好き嫌いはありませんからなんでも食べますよ。いささか食べる量が人より多い、とよく言われますがね」
そう言って笑う三郎太。気を取り直したユキナが料理を盛りつける頃には、その場にあった雰囲気は、一応消えていた。
だが一同の頭から、つい先程突き当たったスパイの存在という問題が消えることはなかった。
既に日が沈み、宵の口とも言えなくなった頃、だがカイト達パイロットはまだ休むことは出来なかった。
食事前の手紙の一件をプロスから説明され、警戒を強めることが決定されたために、シフトを組んで常に誰かがエステバリスに乗り込んでいたのである。エステバリスのセンサーを使用して警戒すれば、人の手だけで立ち番をするよりもはるかに効率よく、しかも正確に周囲の様子を把握することが出来る。
現時点のシフトはアキトとカイト、この二人がアカツキ達のテントを中心に警戒に当たっていた。出発前の打ち合わせでは外からの侵入者を警戒していればいいはずが、内部にスパイがいることが解ったために警戒の範囲も一気に広がり、その手間も倍増してしまった。
昼間はエステバリスの警戒システムと、自動操縦システムに任せてのんびり飛んでいた彼らだったが、こうしてエステバリスに乗ったまま立ち番をするのは、彼らに昼間とは比べものにならない緊張感と消耗を強いた。
そんなぴりぴりとした時間ももう少しで交代、という時刻になって、カイトのエステバリスのセンサーに反応があった。センサーの反応から判断する限り、対象はどうやら人間、しかもベースキャンプから外に向かって進んでいた。
カイトは、キャンプ地そばの小さな木立に向かうその人影をセンサーに追跡させると、アキトに連絡を入れる。コミュニケを開くと、ウィンドウの向こうにやはり緊張したアキトの姿が映った。
『どうした、カイト？』
「怪しい人影を見付けました。センサーを追跡に回しますから、キャンプ地の警戒をお願いします」
『解った。頼むぞ』
打ち合わせ通りに行動する二人。
一人はこのままキャンプ地を警戒し、もう一人がスパイと思われる人物を監視、場合によっては拘束する。
この手の仕事のプロであるゴート達がこの場にいれば彼らに任せたのだが、無い物ねだりをしても始まらない。この場にはパイロットや科学者、技術者はいてもスパイ狩りに適任な人物はいない。また、誰がスパイか解らない調査団の人手を使うわけにも行かない。
だから彼らは、スパイを捕まえられれば良し、出来なければその正体だけでもつかんで警戒しよう、と決めたのである。
カイトがセンサーで追跡する人影は、木立に入りかけたところで停止した。相手の姿をカメラの視界に捉えるべく、細心の注意を払ってカイトはエステバリスを移動させる。
そこに、今度はアキトから通信が入った。
『カイト、キャンプ地からまた誰か出てきた。そっちへ向かってるようだ』
「解りました。今向こうの顔を写せる位置に移動しているところです」
『見つかるなよ』
「……頑張ってます」
移動を完了し、メインカメラをズームにして覗くカイト。丁度その時、二つの人影がごく近くまで接近していた。こちらが気づかれた様子はなく、あわよくば正体を暴いた上で捕まえられるか、とカイトは期待した。
だが、そこに映った二人は、カイトが予想もしなかった二人だった。
「アオイさんに、ユキナちゃん！？」
ジュンは寝付けなかった。新たに持ち上がったスパイという問題、増えた頭痛の種のおかげで、目が冴えてしまっていたのだ。信頼できると思えた三郎太も、今では一番のスパイ候補である。
気分を変えようと散歩に出たのだが、気がつくとキャンプ地をかなり離れてしまっていた。いつの間にか、木に囲まれた、小さな林に入り込んでいたのだ。
「（いけない、離れすぎた。戻らないと）」
そしてきびすを返して歩き出そうとしたとき、ジュンはそこに思いもよらない人影が歩いているのを見た。
どこか虚ろな眼をしたユキナが、とぼとぼと目の前を横切ろうとしていたのだ。こちらに気づいた様子はなく、前を通り過ぎると、空を見つめて呟きを漏らす。
「お兄ちゃん……」
「（九十九さんのことか……）」
ジュンは少しだがユキナの兄、九十九とも面識はあった。親しく言葉を交わしたことはなかったが、彼が好感の持てる青年だったことは印象に残っていた。
ユキナにとっての九十九の存在の大きさはジュンには想像もできない。九十九の死のその時の取り乱したユキナ、葬式の後の別人のように意気消沈していたユキナ、そうした姿から僅かなりとも感じることが出来ただけだった。
今のユキナは、その時のユキナにそっくりだった。
地球にやって来て以来、ずっと元気に振る舞っていただけに、その姿は一層痛々しさを感じさせる。ジュンは、そんなユキナの姿を見かねて、その背中に声をかけた。
「ユキナちゃん、一人で出歩いちゃ危険だよ。どこにスパイがいるか判らないんだから……」
振り返ったユキナの瞳は、寂しげに揺れていた。ジュンの言葉に答えるでもなく、じっとこちらを見つめている。
「ユキナちゃ……」
「お兄ちゃん……」
ユキナの言葉にジュンは意表をつかれた。彼女は今、寂しさのあまりに周りが見えていない。
ミナトといたときは忘れられていたものが、今ミナトと引き離されたために吹き出したのだろう。記憶の中の九十九と、目の前のジュンをユキナは重ね合わせている。
「ユキナちゃん」
再びジュンは呼びかけた。
「あ、アオイさん……。ごめんなさい、変なこと言っちゃって……」
寂しげにユキナは笑った。
ジュンは、今自分に出来ることを考えた。少しでもユキナを力づけることが出来ないか、と。
「少し、話でもしないかい？」
「え？」
「一人でふさぎ込んでても、良くなることはないからね。僕じゃ役者不足だろうけど、気分転換の相手くらいにはなるんじゃないかな」
ジュンの言葉に驚いて目を丸くしていたユキナだったが、僅かな時間の後に小さく微笑んだ。
「……ありがとう、アオイさん」
「（これ以上は聞いちゃいけないよな……）」
センサーで遠く離れた二人の会話を拾っていたカイトは、おもむろに音声と画像を切り、熱源探知のみに切り替えた。これなら細かい様子は分からなくても、二人の所在は確認できる。
そこに、アキトからの通信が入ってきた。
『カイト、どうだ？』
「ああ、問題ありませんでした。アオイさんとユキナちゃんです。散歩でもしてたんじゃないでしょうか」
『そうか。でも、妙な組み合わせだな？』
納得しかねる様子だったが、相手が気心の知れた二人だったために、アキトは通信を切って警戒に戻った。カイトも二人の様子に気を配りつつ、周囲の警戒を行う。
警備の交代まで後ほんの僅か。
夜は静かに更けていった。
つづく
後書き
言い訳は致しません。
遅れまくった上に前後編。分量を読み違えました。続きは今度こそ出来るだけ早くに……。
最後に、この作品を掲載して下さった河田さん、本当にありがとうございました。
この作品はNetscape Communicator4.75、Netscape6、Internet Explorer5.5で表示を確認しています。
「機動戦艦ナデシコ」はジーベックの作品です。
御意見、ご感想はこちら：tanoji@jcom.home.ne.jp