機動戦艦ナデシコ

Digital Fairy Tales

〜in "The blank of 3years”〜

作:たのじ

 この作品は、カスケードスタイルシート(以下CSS)によってレイアウトを調整しておりますので、CSSに対応していないブラウザで表示させると、かなり見苦しいことになります。まことに勝手なお願いですが、CSS対応のブラウザでご覧になるようお願いします。

第七話 出撃!『極冠遺跡』へ

<2199年3月某日 薄曇り>
 人生は失敗と後悔の連続だ、といったのは誰だったんだろう。これは、至極的をいた格言だと思う。
 失敗を恐れずに、どんなものにでもぶつかっていくテンカワ君のような度胸や、ユリカのような天才的な閃きのない僕は、事に当たっては常に綿密な準備を行い、成功率を高める生き方をしてきた。それが性にあっていたし、例外はあれど、大過無くこれまで過ごしてきた。
 けれど、そんな経歴なんか何の意味もないことを、今度こそ思い知らされてしまった。備えが不要な訳じゃない。けれど、本当に求められるものは、いざというときに発揮される行動力だった。
 そう、テンカワ君が木連との戦いで何度も見せたような。
 僕もそうなれるんだろうか? いや、ならなきゃいけないんだ。今の僕には、変わらなければならない理由が出来たから。

アオイ・ジュン



 新地球連合、及び木連代表は、何ら進展のない会議に業を煮やし、この現状を打破する材料を探し始めた。その過程で、双方共にたどり着いた結論が、『まずは遺跡についてより多くの情報が必要だ』というものであった。
 考えてみれば当然のことだろう。この会議の主題は『遺跡の機能解明及びその利用』であり、遺跡のオーバーテクノロジーをいかに公平に分配するかである。よく解らないものに関して議論しようにも、ほんのわずかの情報と推測だけでは、何らかの結論を出せるわけがない。
 感情的な罵り合いからようやくそこにたどり着いた両陣営は、それぞれ人選を行い、特別調査団を結成したのである。
 木連からは優人部隊を中心とし、科学者、技術者達が。そして新地球連合からは、旧ナデシコクルー達が中心メンバーとして選ばれたのである。
 
 
 というわけで、出発を明日に控えたナデシコのクルー達は、総出で荷造りに追われていた。
 宿舎の前にはアカツキの手配した大型トレーラーが集まり、周囲に水素エンジンの音を振りまいている。そしてそれに混じってバックブザーの音、車両誘導員のかけ声が響く中、ユリカとメグミの声が周りの音に負けじと響いていた。
「ね〜、何で私達は行っちゃいけないの〜!?」
「そうですよ! 何で私達だけ仲間外れなんですか!?」
「君たち……、もう何度も言ったろう?この調査行では君たちの仕事が無いんだ。和平交渉中だから火星大気圏内ではどちらも宇宙船を運用できない、だから艦長はもちろん、操舵士、通信士、オペレーターの仕事は無い。それに女性には往復一ヶ月の地上旅行は辛いと思うよ?なにせトレーラーは居住性が悪いから」
「でもでも〜!」
「ユリカぁ……、そんなこと言っても決定は変わらないんだから……。ルリちゃん達を見習ってみんなを手伝おうよ」
「アオイさんだって副長なのに行くじゃないですか!」
「彼は僕と一緒に護衛なんだよ」
「じゃあ私も護衛で行くの!」
「ユリカぁ〜」
 アカツキとジュンの説得にもあきらめず、ユリカとメグミはしつこく食い下がっている。作業に追われるカイトは、その元気を使って手伝ってくれないかな、などと頭の隅で考えていた。
「カイトさん、こっちのリストの荷物は整理終わりました。残りは食料品だけです」
「了解。……プロスさーん!」
「はいはい、今行きますよ〜」
 口論の続く横で作業は着々と進んでいく。アカツキとジュンを除く(理由は前述の通り)男衆は力仕事、ユリカとメグミを除く(理由は以下略)残りのメンバーは積み込みの指示。事務に強いプロスペクターとエリナが最終的にチェックを行って確認する。
 着々と作業が進む中、アキトとミナト、ユキナの三人が差し入れを片手にやってきた。
「みんなー、お茶の用意が出来たわよー」
「みんな、ごくろうさん!」
「ミナトおねーちゃん達の手作りだからね。味わって食べなさいよ!」
「おーし、待ってましたぁ!」
「リョーコぉ、あたしの分もとってぇ」
 早速車座になって荷物に腰掛けるクルー一同。紅茶を片手にゆっくりとクッキーを囓る者、雑談に興じる者。一人クッキーを見つめながらぶつぶつ呟いているのはイズミである。今日はどうやら駄洒落が不調らしい。
 そして、カイトとルリは紅茶をすすりながら未だに続いている騒ぎを呆れた目で眺めていた。現在はアカツキがメグミを、ジュンがユリカを分担してなだめているようだ。
「ユリカさんもよく飽きないね。もうずっとだだをこねっぱなしじゃないか」
「仲間外れは嫌、テンカワさんと離れるのはもっと嫌。あの人らしいじゃないですか」
「しっかしよー、宇宙船を使えば楽なのに、何でわざわざ使えない今の時期に調査しなきゃなんねーんだよ? 後からゆっくり調べりゃいーじゃねーか」
 リョーコのその意見は、おそらくほぼ全員の意見を代弁するものであっただろう。皆も同意見だ、という顔をしている。が、
「何言ってるの!?」
 とすぐさまイネスの反撃を受けて沈黙してしまう。
「遺跡にはボソンジャンプの秘密があるのよ! おまけに、遺跡の機能が完全に解析されれば、誰でも自由にボソンジャンプが可能になる……。それどころか、時空制御の全貌を解明できれば、現在の宇宙論そのものを書き換える、真の統一場理論すら構築できるかもしれないのよ! そんな大事なことを最優先しなくてどーするの!?」
 実に科学者らしい意見である。彼女の科学者魂の前には、多少の不便など気にするに値しないことなのかもしれない。
「はいはい……。火星遺跡のオーバーテクノロジーをいかに公平に分配するかが、今回の会議のキーポイントですからね。ま、相手にも抜け駆けされたくないし、ほっとくこともできないし、ちょうど良いのがいるから押しつけよう、ってことよ」
「それで、地球と木連共同で遺跡調査をするって訳なのね。でも私達、肝心のコアを宇宙のどっかに放り出しちゃったじゃない」
 辛辣な解説をするエリナに疑問をぶつけるヒカル。それに応えたのはセイヤと、目を輝かせたイネスだった。
「イネス先生のプレートから、情報を引き出すための手がかりが欲しいのさ」
「というより、あれが火星古代文明の記録媒体だとすれば、遺跡にその再生装置があったっておかしくないでしょ。前回遺跡に入ったときは、とてもじゃないけど調査している暇なんか無かったけどね」
 そんな二人の説明を聞きながら後片づけをしていたユキナだったが、ひょいと顔を上げてにんまりと笑った。
「要は、ゴミ漁りってことよねー。かちゃかちゃかちゃ……。あ、まだお茶のおかわりあるからね」
「うっわー、ユキナちゃん、厳しーねー」
「……ユキナは、厳しい。これは、まきびし……くっくっく……あっはっはっは……」
「イズミさん……。なんでそんなもの持ってるんです……?」
 おどけたようにはやすヒカルに、おきまりの駄洒落で合いの手を入れるイズミ。カイトはそのイズミの手の上の『まきびし』を見て首を傾げ、しばらく会わないうちに磨きのかかったイズミの得体の知れない部分と、寒い駄洒落に引いてしまうのだった。
「なんか、ユキナさん、ミナトさんに似てきましたね」
「おー、相変わらずルリルリも言うねぇ」
「ごめんね、手厳しい女で」
「いえ、子供の言うことですから、気にしないでください」
 和やかな空気の中で、端から見るとかなり辛辣な会話が交わされている。やはりどこまで行ってもナデシコのクルーはナデシコのクルーのようだった。
 
 
「さて、そろそろ買い出しに行きましょ、ユキナちゃん」
「はーい、お姉ちゃん。しゅたっ」
 のんびりと雑談に興じていたミナトが、ユキナに声をかけつつ立ち上がった。手にはいつの間にか買い物かごを下げている。
 そのミナトに声をかけようとしてクッキーをのどにつまらせたユリカが、慌てて紅茶で流し込む。出遅れた分を取り戻すために、周りを呆れさせる勢いでぱくついていたためにつまらせたらしい。
「買い物って、なにを買いに行くんですかぁ?」
「今日のお夕飯の材料よ。みんな荷造りで大変なんでしょうから、おいしいもの作ってあげるわよ」
 思わず見とれてしまうような、ユリカあたりには真似の出来ないウィンクを一つすると、ミナトはユキナを従え出ていった。買い物に出ていくその様は、普段表に現れている色気以上に、彼女の持つ家庭的な一面を現していた。
「ミナト君、少し待ってくれ」
「なぁにぃ?」
 しかし、出ていこうとするミナトをゴートの低い声が呼び止めた。
「(ゴートさん、今までどこにいたんだろう……? あの巨体なら居れば判るのに。もしかして隠れてさぼってたのか?)」
 どこからともなく湧いて出てきたとしか思えないゴートに、不思議な物を見る目を向けるカイト。そのカイトを気にもとめず、一同を見渡すと、今度はユリカとの激闘(?)の結果、少々ぐったりしているジュンに目を留めた。
「念のためだ、アオイ君、彼女たちの護衛についてくれ。フォーメーションは打ち合わせの通りにな」
「はい、ゴートさん。それじゃあミナトさん、ユキナちゃん、お供いたします」
「うん、じゃあ行きましょうか」
「よろしくね、アオイさん。荷物持ちもよろしくね!」
 にこやかにそう言うユキナに、ジュンは疲れた顔で苦笑を浮かべながら頷いていた。
 そして今度は後ろにユキナとジュンを引き連れて、ミナトは颯爽と買い物に出ていったのであった。
「ユキナちゃん、ほんとにミナトさんに似てきたね……。ジュン君振り回されちゃって……」
「アオイさん、押しに弱いですから」
 長年の友人であるユリカの一言に、ルリが容赦のない人物評を付け足した。更にヒカルがその後を続ける。
「ジュン君は、いわゆる『いい人』だからね〜。恋人にするにはちょっとだけど、こういうときは人気者よね。ねぇ、ルリちゃん?」
「私、少女ですからよく判りません。でも、あんな事があったのに護衛がアオイさん一人でいいんですか?」
 ルリの言う『あんな事』とは先日の襲撃のことだろう。だが、ゴートもパイロット達も動じた様子はない。
「それなら心配いらないよ、ルリちゃん。その点はちゃんと打ち合わせてあるから」
「はあ、そうですか」
 アキトの説明にもまだ不審そうな顔をしていたルリだったが、すぐに頭を切り換えると、
「さて皆さん、後少しですからさっさと片づけちゃいましょう」
「おーし、やるぞ!」
「おー!」
 先頭に立って荷物整理に戻って行くのだった。その後を、引っ張られたようにリョーコ達が続いていく。
 この光景を見ていたカイトは一言。
「ルリちゃんって、意外とまとめ役とかが似合うのかもしれない」
 


 火星の都市部は終戦後、大量に押し寄せた移民によって、一時的な過密化が発生している。木連人々が移住してきた結果、戦争中に破壊され、廃墟となっていたコロニーが続々と再建されたが、そうそう必要な数が揃うわけではない。
 また、火星の大多数を木連出身者で占められることで、火星が地球のコントロールを受けなくなるのではないかという危惧を憶えた地球側が、負けじと移民を送り込んできた結果でもある。
 いずれ木連出身者が、月や地球に移住を開始すればこの状態も緩和されるのかもしれないが、今日明日にはどうしようもないのである。
 しかし、この人口の急激な増加のために火星は混沌としながら同時に活気に満ちており、市場は人波で溢れ返っていた。道には露店がところ狭しと軒を並べ、威勢のいい呼び込みの声、壮絶な値切り合戦を繰り広げる店員と客の声、雑踏のたてる意味を成さない騒音、そういったもので祭でも行われているかのよう賑わいを見せていた。
 店にはありとあらゆるものが並べられており、野菜や果物といった食料品から日用品に工作機械、果ては裏では武器まで取り引きされているらしい。
 そんな火星の市場を、妙齢の美女ハルカ・ミナトがユキナと共にすいすいと歩みを進めていく。その顔は、つい先程精肉店で行われた値切り合戦に大勝利を治めた満足感からか、実に楽しそうな微笑みを浮かべていた。
 そしてその後ろを、荷物を両手に抱えたジュンが人波をかき分け付き従っていた。抱えた荷物が人を押しのけるその都度、律儀に謝罪の言葉を述べるジュンだったが、この調子で護衛が務まっているのだろうか?
「ねー、アオイさん。もっと速く歩かないと置いてかれちゃうよ。護衛が護衛する対象に置いてかれてどうするのよ」
「だ、大丈夫だよユキナちゃん、すぐに追いつくから……」
「もー……」
 その短い会話の間にも、ミナトはまた買い物を始めていた。彼女は買い物を始めてから値切らない、ということがないので、この状況はしばらく続くだろう。
 ジュンは一休みできると思ってか、一安心した表情になる。そんなジュンを、抱えた荷物の向こう側からユキナが見つめていた。
「じーっ……。ねぇ、アオイさん、あたし思うんだけど、こんな人混みを歩くのに、護衛が一人じゃ危ないんじゃない? 悪いやつが人混みに紛れて近づいてきたらどーすんのよ」
「それは大丈夫だよ。僕らを狙ってる奴らが欲しいのはデータであって、暗殺される、という心配がないからね。心配なのは誘拐されることだけど、こんなところで誘拐しようとしても、この人波が壁になって逃げ切れるものじゃないよ」
「そーなの?」
「そう。この人波を人一人抱えて逃げるなんて不可能に近いよ。ユリカ達みたいに単独ボソンジャンプできるならともかくね。だから、ユキナちゃんは誘拐よりもスリの心配でもしたほうがいいよ。それに……」
 笑顔でそう語るジュン。
「それに、なに?」
「実はね、僕らをイズミさんが影からフォローしてくれてるんだ。だからそう簡単には手出しは出来ないよ」
「ふぅん、結構ちゃんと考えて行動してるのね」
『こら』
 ユキナとお喋りに興じているジュンの耳に、突然静かで平板な、しかし不思議な存在感を感じさせる声が響いた。
「どしたの? アオイさん」
 突然のことに驚いて、その声の出所を探すジュンだったが、不思議そうに自分を見るユキナのおかげで耳元のインカムの存在を思い出し、声の主とこそこそとした会話を始めた。
「イズミさん、緊急時以外の通信は厳禁だって決めたじゃないですか」
『アオイ君……、私が隠れてる意味判ってるの? どこから狙ってるか判らない相手に、切り札の存在を教えてどうするの。壁に耳あり障子に目あり、よ。そしてそこの露店の床には、アリが、あり……』
 回線の向こうでいつもの駄洒落と含み笑いを始めたイズミに寒気を憶えながら通信を打ち切ると、ジュンは気持ちを引き締めた。市場のにぎやかな、がやがやとした雰囲気と、ユキナの相手をしていて感じた楽しさに浮かれて、警戒心が薄れてしまっていたらしい。
「いやぁ、喋りすぎだって怒られちゃって……」
「そーよ、ジュン君。口の軽い男はもてないわよぉ」
「ミナトおねーちゃん、買い物終わったの?」
「ええ、ばっちり。値札の三分の二までまけさせたわよ」
そう言って楽しそうに微笑むミナト。
「それじゃ、買い物は終わりですか?」
「そうねぇ、これ以上荷物増やすのもかわいそうだし、そろそろ帰りましょうか。ジュン君もそろそろ限界でしょ?」
「ははは……」
 そのミナトの言葉に苦笑するジュン。荷物を両手一杯に抱えていては、強がることもできないようだ。
「それじゃ、宿舎に向かってしゅっぱーつ!」
 まだまだ元気が有り余っている様子のユキナが先に立ち、そのとなりをミナトが歩く。ジュンは、置いていかれないように、荷物を抱え直して足を早めてその後を歩いていった。
 だが、そろそろ夕食前の混雑の時間が始まり、ただでさえ人の多い通りが、より一層混雑していく。人波に二人と隔てられ、慌てて追いつこうと人をかき分け進むジュンだったが、ふと、妙な動きをする男が目に入った。
 スーツ姿の細身だがやせっぽちには見えないその男は、どうもミナト達の背後につこうとしているように、ジュンには見えた。起こり得るかもしれない事態に備え、ジュンは更に足を早め、同時にイズミに連絡を入れる。
「イズミさん、ミナトさん達の後ろに……」
『判ってる。アオイ君、急ぎなさい。予定通りに援護するわ』
「よろしくお願いします」
 手早く会話を終え、ミナト達の背後に取り付こうとするジュン。しかし、その判断はほんのわずかの差で遅きに失し、相手に先手を取られてしまう。
「おねえちゃん!」
「痛っ、ちょっとあんた、何……!?」
「しまった!」
 その男は、背後からミナトに襲いかかり、腕の関節を固めて動きを封じると、素早く抱え上げ、人混みの中にも関わらずすいすいと走っていく。その速さに荷物を放り出して走っても追いつけないと判断したジュンは、カモフラージュした通信機など使わず、コミュニケでイズミに連絡する。
「イズミさん、狙撃してください!」
『了解!』
 イズミの射撃の腕ならばこの人混みでも問題はない、そう判断した上で、ジュンは走りながら腰の銃を抜き、足を止めた後に備えた。
 だが、前を走る男が止まる様子は一行にない。焦れたジュンは、立ち止まって手の中のブラスターを構え、警告無しに発砲した。その一発は、狙いを過たずに男の足を貫くかに見えた。
 が、突如男の周りに砂埃が撒き上がり、ミナトもろとも男の姿を隠してしまう。
「何が!?」
「ああっ!? ミナトおねーちゃーん!」
 ユキナの声に上を見上げたジュンが見たものは、スーツを脱ぎ捨て、怪しい覆面と黒装束に身を包んだ男が、ミナトを抱えたまま人間離れした跳躍力で飛び上がり、ビルの屋上の向こうへ消えていく姿だった。
「に、忍者……?」
 
 
 イズミは要請通り狙撃するべく、光学迷彩を解除し、市場を一望の下に見下ろすビルの上でライフルの照準を合わせた。少し難しいが大した問題ではない。一応可能だ。
「手加減できないか……。命があればいいね……」
 ”止められる”ことを確信したイズミだったが、その時、喉に冷たい鉄の感触と、くぐもった声を聴いた。
「そこまでだ。銃をおろせ。無駄な殺生をする気はないが必要とあれば容赦はしない」
 くぐもっているが間違いなく女の声だった。そして、その声にはイズミをして動きを止めさせる力があった。
「……良くここが判ったね」
「ここは一番見晴らしがいい。狙撃手を配置するなら絶好のポイントだ。それに、あの警戒心の薄い副長殿が喋ってくれたおかげで、発見は楽だった」
「アオイ君、後で説教だね」
「なかなか得難い経験をした代価だと思えばいい。……では、そろそろお暇しようか。間抜けな副長殿に感謝を」
 その声と共に、喉元の刃と背後の気配はその場から消えた。そして、再びスコープを除いた中には、既に姿を消した誘拐犯と、呆然と立ちつくすユキナとジュンの姿があった。
 


 荷造り中のクルー達は、ようやく作業を終えようとしていた。最後のコンテナがトラックに積み込まれ、ハッチが閉じられると誰からともなく安堵のため息が漏れる。最後の最後でイネスがあれもこれもと欲張った結果、研究機材の量が膨れ上がり、護衛の筈のアキトも動員して行った結果、どうにか片づいた、といったところである。
 ようやく、という風情でくつろぐ一同。力仕事はしていないものの、あちこち動き回っていたルリなどは疲れから座ったとたんに小さくあくびをしている。
 そんな中、ゴートのコミュニケが開き、イズミが戦闘中でも滅多に見せない緊迫した声で何事かを告げていた。
「ミナト君がさらわれただと?」
『ああ、どうする? アオイ君はあんたの指示を仰ぐように行ってるけど』
「そのアオイ君はどうしている?」
『ユキナちゃんを抑えてるよ。すぐにでも駆け出しそうだったからね』
「判った。一旦こちらに戻ってくれ」
『了解』
 コミュニケのウィンドウが閉じる。その時には、ゴートの周りにクルー達が顔を揃えていた。
「まずいことになりましたねぇ……」
 プロスがいかにも困惑した口調で呟いた。それは、この場の全員の意見を代弁していた。一度目の襲撃の経験から、イネスの誘拐を重点的に警戒したため、他が疎かになった結果だった。
 相手がこちらの上をいったと言えばそれまでだが、イネスのみが目標だと仮定して、その他の可能性を軽視していたことは否定できない。
「とにかく、全てはジュン君達が戻ってからです。これからの行動、犯人のアクションに対するリアクション、警備体制を反省するのは後にして、今はミナトさんを救うことを考えましょう」
 沈み込んだその場の雰囲気を察したのか、ユリカが指揮を執り、クルー達は動き始めた。
 
 
 既に日は沈み、あたりは闇に包まれているその時、ナデシコのクルー達は、誘拐されたミナトを救うべく独自に行動していた。
 ユリカを含む半数以上は、ゴートの指揮下で直接街の探索にあたっている。宿舎に残っているのは、アカツキ、エリナ、イネス、セイヤ、プロスペクター、ユキナ、カイト、そして急遽呼び出された三郎太だった。
「黒装束に怪しげな術……、木連秘密諜報部の特殊部隊と見て間違いないだろうな」
 最初の襲撃が地球側なら今度は木連側、とふんだユリカが意見を聞くために呼び出したのだが、見事に当たったようだ。
 判断の根拠は?と聞かれた時は『勘です』と応えたユリカだったが。
「ですが、特殊部隊の存在は最重要機密になっていまして、指揮系統どころか、その存在さえ明らかになっていません。どこの誰が後ろにいるのやら、調べようにもこれが……」
「イネスさんじゃなく、ミナトさんをさらったのは、やっぱり……」
「おそらく君の想像通りだろう、カイト君。護衛が十重二十重とついてるイネスさんには手が出せないから、代わりにミナト君を誘拐する、そして……」
 言いよどんだアカツキの後をエリナが続けた。
「ナデシコクルーはお人好し揃いだから、ミナトさんを人質にしてイネスさんと遺跡のデータを差し出させる、と」
 確かにその通りだろう。仲間を見捨てるような人間は、ナデシコのクルーにはいない。
「まあ、そうでしょうなぁ……。それがナデシコのいいところでもありますし……。それならば、そろそろ犯人から連絡があってもいいはずですが」
「だが、そんな取引を地球側も木連側も認めるわけがない。遺跡の調査とそのデータは、和平交渉の鍵となるものなんだから」
「そんな、冗談じゃないわっ! それじゃミナトおねーちゃんはどうなるのよっ!」
 アカツキ達の会話に、危機感をおぼえたユキナがヒステリー寸前の声を上げた。その目には、恐怖に近い感情さえ浮かんでいる。
 かつて目の前で兄を失ったことが、彼女のトラウマとなっているのだろう。今またミナトを失うかもしれない、という恐怖が、ユキナの感情を押し流そうとしていた。
「落ち着きなさい! だからゴートさんがみんなを使って調査をしてるんでしょう!」
「そうそう、仲間を見捨てたり、お上に従うだけの人間がナデシコのクルーなんてやってるわけないだろう」
 納得してはいないようだったが、ひとまずユキナは腰を下ろして口を閉じた。
「へぇ……。お二方、結構言うねぇ」
 一度発言した後はその場の会話をじっと聞いていた三郎太が、感心したという声を上げた。その表情は明らかに面白がっている。
「私たちゃいつものことですからそれでいいんですが、高杉さんはどうなさいます?貴方には木連代表団から直々に派遣されたという立場もおありでしょうに」
 プロスの言葉に、三郎太は『ニヤリ』としか表現できない笑いと共に応えた。
「心配はいらねぇよ。休戦からこっち、オレは誰の味方でもねぇ。”正義”の味方だ。あんた達のことは気に入ってるし、協力は惜しまねぇよ」
「そりゃまた結構……。これで話はつきましたな。ここで断られたらとりあえず簀巻きにでもして口を封じなきゃならないところでしたが」
 さらりととんでもないことを言うプロス。ジュンと並んで一番の常識人に見える彼だが、本質はとんでもない『悪人』なのかもしれない。
「こっちの方針は決まりましたね。さてイネスさん、意見の調整も済みましたので、貴方にも協力していただきたいんですが……」
 振り向いたプロスの視線の先にいるイネスは、先程から会話にも加わらず、セイヤと二人で何やら熱心に話し込んでいた。しかも会話をしながら、右手はポケコンの上を高速度撮影でもぶれそうな速度で動き回って何か打ち込んでいる。
「あの先生、聞いちゃいねえ」
「……ああなったイネスさんには声をかけても無駄だね」
「そうなんですか?」
「ああ。三郎太君だけじゃなく、カイト君とユキナちゃんもイネスさんとはつきあいが短いから知らないのか。ああなったら自然にこっちに戻ってくるまでどうにもならないんだよ」
 肩をすくめて”困ったもんだ”と仕草で告げるアカツキ。その話の当人は、振り向きもせずにいらだった声でようやく応えた。
「聞こえてるわよ、会長さん。人をなんだと思ってるの? 今、すごく大事なところなんだから、邪魔しないでちょうだい」
 しかしその答えに、ユキナが即座に反応した。ミナトの心配で今にもバランスを崩しそうな彼女には、ミナトのはどうでもいいとも聞こえるイネスの発言が許せなかったのだ。
「おばさんはミナトおねーちゃんがどうなってもいいの!?」
「今の私にはどうすることもできないわ。だから、自分に出来る、最も重要で、最優先の問題を片づけてるの。わかれ、とは言わないから邪魔しないで」
「何よそれ!」
 背中を向けたままのイネスをひと睨みすると、ユキナは風を巻き上げるような勢いで部屋から走り出た。
 その場の全員がどちらの味方も出来ずに静まり返っていた。以前のアカツキやエリナはともかく、今この場に理性と感情を完全に切り離せる人間はいなかった。
「あー、カイト君、だったね。一人にするのは危険だから、ユキナちゃんを連れ戻しに行こう」
「はい」
 最初に動き出したのは三郎太だった。カイトを伴い、部屋を出ていく。そして次に、アカツキがイネスに声をかけた。
「とは言え、だ。イネスさん、相手が人質交換を持ちかけてきたとき、貴方はどうするつもりなんです?」
「条件次第ね。そのあたりの駆け引きは任せるわ」
 自分の身柄が交換条件と解っていて、ここまで言える人間はそうはいない。そして同時に、これはイネスもやはりナデシコの気質が染み込んでいる事を示す発言だった。
 この場には仲間を見捨てる人間などいないのだ、と。
 それを確認したアカツキは、背中を向けたまま表情を見せないイネスに向けてこう応えた。
「はいはい、化かし合いは任せてください。こっちに身内には古狸も女狐も揃ってますから」
『誰がです!?』
 自覚があったのか、不機嫌な声が二方向から帰ってくる。アカツキは無言で、別の意味で肩をすくめた。
 


 カイト達が額を寄せ集めて対策を協議していた頃、他のクルー一同は、足を使って地道に誘拐犯の足取りを追っていた。シークレット・サービスとしてしての経験を持ったゴートの指揮の元、チームを組んで捜索を行ったものの、成果は上がらなかった。
 ゴートはプロであっても、所詮ナデシコのクルー達はこのような作業に関しては素人だったのだ。なんの手がかりもつかめないまま、各人は各々集合場所の宿舎へと戻っていった。
 三々五々戻ってくるその中に、ルリとチームを組んでいたジュンの姿もあった。実のところ、ジュンは宿舎に残るはずだったのだが、こちらに志願して無理矢理カイトと交代したのである。
 その足取りは重く、肩を落として疲れをにじませている。しかし、隣を歩くルリはそれほどでもないところから見て、ジュンの疲れは精神的なものもあるのだろう。
 ジュンは目の前でミナトがさらわれた、という事に大きな衝撃を受けていた。その後のユキナの取り乱す様を見ている為もあり、更にプレッシャーがかかっているのだろう。
「アオイさん、そんなに落ち込まないでください。相手はプロだったんですからアオイさんが出し抜かれたことは恥じゃありません」
 事実ではあるが、それが慰めにしかならないことはルリ自身よく解っていた。以前なら、こうして気を使うこともなかっただろうが……。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
 そう言ってジュンはルリに笑って見せた。しかし、その笑顔は明らかに無理をしたもので、ルリを納得させることは出来なかった。
「それより、ルリちゃん。無理矢理カイト君と変わった上に、あちこち歩き回らせてごめん。疲れたろう?」
「……なんでそこでカイトさんが出るんですか?」
「さて、なんでだろうね?」
 最後にジュンの言葉と共に口元に浮かんだ笑みから、からかわれたと判ったのか、ルリは微かに頬を染めた。そのまま会話もなく、宿舎が見えてきたとき、その出入り口から人影が走り出ていくのが二人には見えた。
 人影は宿舎を出ると、街灯の届かない暗がりに入り、そこで止まったように見えた。
「あれ、ユキナさんですよね?」
「そうだね……」
 遠目に見えた黄色いヘアバンドと、白いブラウスは確かにユキナのものだった。
「ルリちゃん、僕はユキナちゃんの様子を見てくるから、宿舎に戻ってみんなにそう伝えてくれないか」
「はい」
 ルリの返答を聞くが早いか、ジュンはユキナのところへ駆け出した。もしここでユキナまでさらわれたら、と思うと気が気ではなかったのである。
 そのユキナは、暗がりで一人空を見上げてたたずんでいた。涙をこらえるかのような表情をしたその顔は、ジュンには自分のミスを攻められているように見えた。
「……ユキナちゃん」
「アオイさんか……。みんな、ひどいよ……。ミナトおねえちゃんのこと、なんとも思ってないみたい……」
「……中で何かあったようだけど、そんなことはないよ。みんなミナトさんのことを心配してる。僕たちは決して仲間を見殺しにするようなことはしない」
「……うん」
 ユキナの表情はまだ晴れない。ジュンはこういった場面での自分の不器用さと、無力さを痛感していた。
 何より、自分の責任でこうなったことに苦しんだ。
「ごめん、ユキナちゃん。僕がもっとしっかりしていれば……」
 そう言って頭を下げるジュン。そのジュンに、ようやくユキナも無理にだが微笑んで見せた。
「ううん、それはもういいの。あの時はどうしようもなかったって自分でも判ってるから」
「うん……。でも、ユキナちゃん、ここで一人でいるのは危ないから、早く部屋に戻るんだ。君まで誘拐されたら大変だからね」
「……はい。でも、もう少し一人にさせておいて。あたしなら大丈夫だから。すぐに部屋に戻るから……」
 ジュンにはその笑顔が、強がった、痛々しいものに見えた。だから、その場を去った後も、ユキナの目の届かないところから、ユキナが宿舎に戻るまで警戒を続けたのだった。
 
 
 結局、その日は誘拐犯からの接触はなく、出発の朝を迎えた。
 ナデシコのクルー達は、ユリカ、ルリ、メグミ、エリナを後に残し、本来ミナトと共に置いていくはずだったユキナをメンバーに加え、予定通り、火星極冠遺跡に向けて出発した。いつやってくるともしれない地球、木連双方の跳ね返りを警戒しつつ、遺跡の探索行に出発したのであった。
 
つづく
 
後書き
 応援してくださったみなさまごめんなさい。ようやく七話が上がりました。
 時間かかったなぁ……。
 言い訳は山ほどありますがとにかくひたすら平謝りです。人数が増えただけでここまで苦労するとは……。
 最後に、ちょっとと質問がありましたので答えておきますと、高杉三郎太君、この頃は劇場版の片鱗はありますが、外見上は似ても似つきません。優人部隊の白の制服に角刈りの似合う、堅物青年に見えます。一応(笑)
 
 
 それでは次回、「機動戦艦ナデシコ Digital Fairy Tales 〜in "The blank of 3years"〜」
 極冠遺跡に向かって旅を始める一同。その途中で、彼らの予想通りにやってきた誘拐犯からのメッセージ。
 また更に、突如イネスから告げられる予想外の大事態。
 かつてナデシコと共に宇宙に放り出した遺跡のコアが、彼らに何かをもたらした。

第八話 対決!『木連忍者部隊』

 でお会いしましょう。
 
 最後に、この作品を掲載して下さった河田さん、本当にありがとうございました。
この作品はNetscape Communicator4.75、Netscape6、Internet Explorer5.5で表示を確認しています。
「機動戦艦ナデシコ」はジーベックの作品です。

御意見、ご感想はこちら:tanoji@jcom.home.ne.jp