機動戦艦ナデシコ
Digital Fairy Tales
〜in "The blank of 3years”〜
作：たのじ
！注意！
この作品はセガサターン用ゲームソフト「機動戦艦ナデシコ The blank of 3years」のネタばれが一部含まれています。
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ごめんなさい_(__;)_
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第五話 思い出よりも、みんなと『現在』を
＜２１９９年１月某日 曇り＞
去年から今年にかけて、今更改めて語るまでもなく、ナデシコを降りた私たちにいろんなことが起こった。
私自身もそう、私の周りでいろいろなことが起こり、色々なことを感じた。今まで知らなかった、いろいろなことを。
始めて感じた『家族』の温もり、家族の『絆』。嫉妬という感情、胸が締め付けられるような苦しさ、そう、色々と……。
誰かのことをあんなに心配したのも初めてのこと。
大晦日のネルガルでのボソンジャンプ実験。あの日、エリナさんに連れて行かれた先で、私はそれを目の当たりにした。
……その時感じた感情は、とても強いものだったけれども良く覚えていない。大きかったものは、家族を失ってしまうのではないかという喪失感、恐怖。
でもそれだけじゃない、それ以外にも、もう一つか二つあった気がする。
その事件は、その日、その時、私達の目の前で起こった……。
ホシノ･ルリ
１２月３１日、大晦日。その日も、カイト達四人は普段通りに屋台を引いていた。
二年参りに出かける老若男女、この日になっても忙しそうに歩き回るビジネススーツ姿の中年男性、どこかのんびりと巡回する警邏の警察官。寒さに身を縮めながら歩くそんな人々の姿を眺めながら、彼らは屋台を引いていた。
そんな彼らの上に、いつしか暗い空から、白いモノがひらひらと舞い降り始めた。
「ねぇ、アキト！ 雪だよ！」
「大晦日、なんだよな……」
ユリカが空を見上げて歓声を上げ、アキトが感慨深げに呟く。
楽しそうにあたりを跳ね回るユリカの動きに合わせるように、ルリがチャルメラを吹く。しかし、途中でまた音程がずれる。大分うまくなってはきているが、まだ完全には吹きこなせないらしい。
その時、チャルメラの音に被さるように、遠くから鐘の音が響いてくる。
「除夜の鐘……」
チャルメラを吹く手を休めて、ルリがぽつりと呟く。アキトも、ユリカも、カイトもそのゆったりした鐘の音に耳をすませる。
会話もなく、小さくラジオから演歌が流れる屋台に、その時エリナはやって来た。
「ちょっと、いいかしら」
「エリナさん……、お久しぶりです。どうしたんですか、こんな遅くに」
『彼女は何かをしようとしている』
先日のプロスペクターの言葉を思い出しつつ、カイトは話しかけた。
「あなたに用があってね……。まずはこれ、落とし物よ。大事なものだったんでしょ？ 次は気をつけなさいよね」
エリナが差し出したものは、いつか捨てたはずのイツキの写真だった。なぜ彼女がこの写真を持っているのだろうか？
カイトの顔に浮かんだその疑問を察したエリナだったが、気にせず話を続けた。
「本命は次よ。あなたに頼みたいことがあるの」
「僕に頼み……、ですか？」
いよいよ来たか、とカイトは体を強張らせた。緊張したカイトを、背後の三人は心配そうに見つめていた。
「そう、ナデシコにボソンジャンプして来たあなたしかできないこと……。今まではこちらにも事情があって控えてきたけど、いよいよ時が来たってことよ。とにかくついてきなさい」
「実験……ですか？」
声を落とすカイト。モルモットになる、というのはあまり気の進むことではない。
そのセリフに反応するアキト達。全て知っている彼らも、カイトの決断がどうなるか固唾をのんで見守るしかなかった。
俯くその姿に焦りを覚えたのか、エリナはカイトに近づき、アキト達に聞こえないように声のトーンを落として囁いた。
「ダメよ。あなたには選択の権利なんか無いの。無理矢理にでも引きずっていくことになるわよ……。逃げられないのは、解ってるんでしょ？」
彼女の言うとおり、自分には監視がつけられている。その姿を見ることはないが、ふとしたはずみに視線を感じることはあった。
結局のところいつまでも避けて通れるものでも無い。とりあえず、カイトは腹をくくることにした。
「解りました……」
「ありがとう！ 助かるわ！」
小さく歓声を上げたエリナだったが、次に口を開いたときには、やっとカイトに聞こえる程度の声で囁いた。
「……無理矢理でごめんなさいね。私たちも後が無いの」
エリナは一同を見渡すと、ごく自然に、それと感じさせない作った声で語りかけた。
「あなた達も一緒に来ない？ 徹夜になりそうだから夜食も欲しいし、実験が終わったら打ち上げをかねて新年会でもやりましょう」
三人とは別の部屋に通されたカイトは、エリナと差し向かいになっていた。難しい顔つきをしたエリナが、スクリーンのスイッチを入れつつ口を開いた。
「まだほんの一部の人間しか成功していない生体ボソンジャンプの実験。あなたにはそれを受けてもらうわ。今のところ判っているのは、生体ボソンジャンプ可能なのは火星で生まれた人間のみということ。惑星改造用に火星にばらまかれたナノマシンに遺跡が干渉し、そのナノマシンが胎児の遺伝子情報をボソンジャンプ可能なものに変える、というわけ。戦争前はジャンプ可能な人も結構いたんでしょうけど、火星はほとんど全滅状態だったから、今ではジャンプできるのは極少数の人だけよ」
「僕に、その生体ボソンジャンプが出来るんですか？」
「あなたはあの日、生身でナデシコにジャンプしてきたじゃないの。オモイカネの記録からも、それは証明されたわ」
小会議室らしきこの部屋の壁のスクリーンに、ナデシコ艦内の通路とおぼしき景色が映し出された。
その中央、誰も居ない場所に小さな光が走ったかと思うと、ぼんやりとした白い服を着た人影が現れ、徐々に形を明らかにしていく。そして次の瞬間、画面の中で倒れているのは、間違いなくカイトであった。
「あなたが火星生まれかどうかなんて解らないけど、生体ボソンジャンプが可能な体であることだけは確かよ。……あなたは今までアキト君達と生活していたから知らないでしょうけど、私たちネルガルの他にもボソンジャンプの研究をしているところがあるの。彼らが”ヒサゴプラン”を完成させれば、私たちネルガルに勝ち目はないわ」
興奮した様子を見せるエリナ。エリナが漏らしてしまったことのいくつかは、カイトもすでにプロスペクターから教えられていたことだったが、そこにつけ込むべくそしらぬ顔でカイトは問いただした。
「”ヒサゴプラン”って何ですか？」
自分の失敗に気づいたエリナだったが、カイトの協力を取り付けるためにもここで誤魔化すことは出来なかった。。
「……”ヒサゴプラン”とは反ネルガルグループが木連の一派と手を組んで作ろうとしているネットワークシステムよ。彼らは戦争中から木連に接触していたらしいわ……。ネルガルに対抗するために、ね。彼らは多数のチューリップを使って、宇宙航行の驚異的な迅速化を図ろうとしているの」
その発想にも驚いたが、戦争中から木連と接触していた勢力があったことにカイトは衝撃を受けていた。
「もしそんなことをされれば、彼らにボソンジャンプの実権を握られてしまう……。ネルガルがボソンジャンプを独占していくためにも、有人でジャンプする方法を私は解き明かしたいの……」
「ネルガルのため、ですか……」
「そう、ネルガルのため、私の目的のためにね。そのためにはあなたがジャンプするデータが是非とも欲しいの」
「……一体、どんな実験なんですか？」
一度腹をくくった以上、ここに来て引き返すわけにもいかず、カイトはおずおずと口を開いた。その言葉が実験に同意するものと判断したエリナは、一転して微笑さえ浮かべつつ、明るい口調で答える。
「ただジャンプしてもらうだけよ。安全性は保証するわ。その安全性を確保するために、今日までという時間が必要だったの」
「解りました。実験に協力します」
「ありがとう、カイト君！感謝するわ！」
広い、密閉された実験ドーム内の空間に、ネルガルが捕獲したチューリップが固定されている。周囲から伸びたアームによって強制的に開口部が開かれ、その中にボソンジャンプフィールドが発生するのだ。
エリナは実験スタッフ達と共にオペレーションルームに陣取っている。クレーンと命綱代わりのワイヤーでつり下げられたカイトのエステバリスから、ガラスの向こうでこちらを見守っているエリナ、そしておかもちを持ち込んでスタッフに夜食を配っていたアキトとユリカ、ルリの姿が見える。
カイトはパイロットスーツに着替えてエステバリスのコクピットに座り、今まさにチューリップの中に降ろされようとしていた。
『気分はどう？』
コミュニケのウィンドウが開き、エリナが上機嫌で問いかけてくる。
「大丈夫です」
その声には若干の緊張の響きが含まれている。
「ところで、一つ質問があるんですけど」
『なに？ 安全性なら、さっき言ったとおりに問題はないわよ』
「いえ、ジャンプしたはいいんですけど、戻るのはどうするんですか？」
『何のために命綱がついてると思ってるの？ 私たちはデータが取れればいいの。ジャンプしたことが確認されたら、ジャンプフィールドが閉じる前に引き戻してあげるから安心しなさい』
「はあ、解りました」
とりあえず納得したことを告げると、カイトは実験開始の合図を待つことにした。スタッフの交わす声が忙しくなり、その時が近いことを伝えてくる。
『チューリップ、開きます』
『ジャンプフィールド、発生を確認』
『エステバリス、フィールド内に降下開始します』
エステバリスがチューリップの中に降ろされていく。
『さあ、カイト君。あなたの行きたいところを思い描いて』
「行きたいところと言われても……。」
そう言われて急に出てくるものでもない。どうしたものかと考えているカイトに、エリナの声が聞こえてきた。
『会いたい人でも、何でもいいのよ。そのイメージを遺跡が読みとって、そこへ送ってくれるわ』
カイトの脳裏に、ついさっきエリナに手渡された写真の少女、イツキの顔が浮かんだ。何となく持ってきていた写真は、今もパイロットスーツのポケットに入っている。
「（僕は彼女に会いたいんだろうか……）」
そう考えているうちに、景色が白くなり、音が遠くなった。同時に意識も白くなり、何も考えられなくなる。
『……したの！？ 何が……！？』
『フィールドが……！ 予測値の……！』
『モニターできま……！ ……状態不明！』
『カイトさん！』
初めて聞いたルリの叫びが、やけにはっきりと耳に残った。
意識が戻ったとき、そこはカイトの記憶にはない場所だった。研究施設の中にいたはずなのに、屋外で横になっている。
そして、写真の中でしか見たことの無かった少女、パイロットスーツ姿のイツキ・カザマが覗き込んでいた。心配そうな表情を浮かべたその顔は、どこか写真よりも幾分幼く見えた。
「目が覚めた？ ヤマモト君」
目の前の状況が把握できない。イツキの口にした『ヤマモト』という名前もそうだが、周囲から戦闘でも行われているかのような砲声や爆発音が聞こえてくる。
「気がついたとたん、災難でごめんなさい。あなたの乗っていたシャトルが敵の攻撃を受け、渓谷に落下して大破。物資はほとんどダメになっていた上に、他の乗員は全滅。あなたを助け出すのがやっとだったわ」
イツキの説明を聞きながら、カイトは立ち上がり、必死で状況を整理していた。
「パイロットスーツもぼろぼろで、ほとんど裸だったから、一緒に乗っていた新任の上司の荷物の中にあった服に勝手に着替えさせたわ。パイロットスーツのポケットに入っていたものは、その服のポケットに移しておいたから」
自分の姿を見下ろすと、その言葉の通り、カイトはパイロットスーツではなく、白い、最初にナデシコに現れたときに着ていた木連の制服を着ていた。そして胸のポケットには、確かに持っていたイツキの写真が入っている。だが、パイロットスーツと同様に、所々まるで融けたようにぼろぼろになっている。
「（……上司の服？ ということはこれを持っていた上司は木連の人間だったのかな？ スパイか……、それともさっきエリナさんが言っていた、反ネルガル勢力と接触していた人間……？）」
それ以前に、何の上司だったのか？ ここはどこなのか？ カイトは急激な変化に困惑していた。
「あの……、カザマさん？」
「どうしたの、ヤマモト君。急にカザマさん、だなんて。様子も変だし、頭でもぶつけたの？頭部には目立った外傷はなかったはずだけど？」
「ここはどこなんです？ 今はいつなんですか？ それと、何がどうなってるんです？」
カイトの質問に目を見張るイツキ。戸惑っている様子が、ありありと分かる。
「……２１９５年の火星、ネルガルの極冠研究所よ。……しゃべり方も変だし、あなた、本当に記憶が飛んじゃってるみたいね。ショックによる一時的な記憶喪失だと思うけど……。もしかして、私のことも忘れてちゃってるの？」
「うん……、ごめん。名前は解るんだけど、それ以外は……」
一応は事実である。全てを話しても、何も知らないイツキには信用される可能性が低いと見たカイトは、無難な答えでごまかした。
「私とあなたが……。その、恋人同士だったことも？」
恥ずかしげに俯きながらそう告げるイツキ。
「えええ！？ 僕とカザマさんが？」
「そんなに簡単に忘れちゃうんだ……」
カイトの反応に少し悲しげにため息をつき、イツキは俯いていた顔を上げる。気持ちを切り替えるかのように一つ深呼吸すると、イツキはカイトの目を覗き込んだ。
「仕方ないわね……。説明するわ。私もあなたも宇宙軍からここのネルガル研究所に出向しているパイロット。ただし、私はまだパイロット候補生だけどね。……そして今、正体不明の侵略者の攻撃から火星の人々を守るために戦っているところ。でも、ネルガルの研究所ももうおしまいね。ユートピアコロニーに移動しましょう。あそこにはたくさんの人が避難しているはずだから、私達もそこに合流しましょう」
「それはいいけど、どうすればいいんだい？」
「倉庫に行ってみましょう。まだ使えるエステバリスが残っているかもしれない……。それでなくても、何か移動手段があるはずよ」
イツキの後をついて研究所内を進むカイト。攻撃は散発的なものになっていたが、もうこの研究所が終わりだということは、内部の荒れようを見れば一目で理解できる。
「おかしな気分ね」
「何が？」
「いつもだったら、あなたが先頭に立って何かしているのに。今はあなたが私についてきてる」
「僕って、そういうタイプだったんだ？」
「そう。それに自分を『僕』なんて絶対言わなかったわ。いつも『俺が』って自信たっぷりで。記憶を失うと、性格もまるっきり変わっちゃうのね」
楽しそうに話すイツキのことをまるで覚えてないことに申し訳なさを感じていたが、カイトは忘れてしまった自分のことを話すイツキの言葉を聞き逃すまいとしていた。
火星で初めて出会った頃の話からデートの話まで聞かされた頃、二人は倉庫にたどり着いた。中は攻撃を受けた影響でかなり被害を受けてはいるが、奇跡的に二機のエステバリスが残っていた。
バッテリーをチェックし、ユートピアコロニーまで移動できることを確認すると、カイトはエステバリスの起動シーケンスを立ち上げる。そのカイトの乗り込んだエステバリスのコックピットに、隣のエステバリスからイツキがやってきた。
「ねえ、さっきのお守りにしてくれてた私の写真、ぼろぼろになっていたでしょ？新しいのに取り替えてあげるから、そっちは私にちょうだい」
確かに、今ポケットに入っている写真はボソンジャンプの影響か、融けたようにぼろぼろになっている。反対する理由もなく差し出すと、イツキは真新しい写真を変わりに手渡してきた。ぼろぼろになる前とまったく同じ写真である。
イツキはそのままコックピットから出ようとせず、カイトに抱きつき、耳元で囁いた。
「ど、どうしたの？ カザマさん？」
「もう、私を忘れないで……」
頬に暖かさを感じたと思った次の瞬間には、イツキは自分のエステバリスに向かっていた。イツキの行動に呆然とするカイトに、何かが『見えた』。
目の前に、見慣れない風景が広がった。
視点が固定され、まるで映画を見ているような気分になる。
そしてその視界の中央に、人影があるのに気づいた。
夕暮れの公園で、カイトは男女の二人連れが並んで赤く染まった風景を眺めているのを『見て』いた。
一人はどうやら自分らしいと『思った』。しかし、隣に並んでいる女性が――それとも少女か？――、誰だか判らない。
彼女がその隣にいる『自分』にとって大切な存在だ、というのがなぜか『判った』。
でもそれが誰だか判らない、それがもどかしかった。自分に関係のある人だと推測は出来た。しかし『思い出せない』、いや、『判らない』。
それが、ひどく悲しいことのような気がした。
どうやらわずかな間だが、意識が飛んでいたらしい。気がつくと起動シーケンスは終了していた。
そして、エステバリスが起動すると以前と同じ感覚が広がった。何も考えなくても体が勝手に動いてくれる。感覚がクリアになり、空気の動きまでもが感じられる気がする。
見れば、イツキのエステバリスが、先に立って開かなくなった倉庫の扉を実力で排除している。
「ヤマモト君、あなたは無理をしないで私についてきて。天才パイロットと呼ばれてたあなたでも、何も覚えてないんじゃ危険だわ。私が突破口を開くから」
「大丈夫、心配はいらないよ。エステの扱いは覚えてるみたいだ」
イツキはそのセリフに驚いた顔をしている。そしていたずらっぽい微笑みを浮かべた。
「私のことは忘れてたくせに……。じゃあ頑張ってね、天才パイロットさん！ ユートピアコロニーで落ち合いましょう！」
二機のエステバリスが飛び出していく。とたんに四方から火線が二機に集中する。
すぐに分厚い弾幕に覆われかけたが、カイトはそれを苦もなくすり抜けた。一方のイツキも、まだパイロット候補生とは思えない見事なテクニックで攻撃をかわしつつ、敵へと向かっていく。
「カザマさんも、良い腕してるじゃないか！」
「ふふっ、ヤマモト君の直伝よ！」
研究所のほとんどを制圧していた正体不明の侵略者の無人兵器−カイトはそれが木連のバッタやジョロと解っていたが−を蹴散らしつつ、二機はユートピアコロニーへと向かっていった。
ユートピアコロニー地下には、大量の避難民が流れ込んでいた。生き残っていた電源ユニットにバッテリーを繋げて充電する間、カイトとイツキはエステバリスの足下で体を休めていた。
すでに地上はチューリップの落下と無人兵器の攻撃によりほぼ全滅、二人は何をするべきか、それを考えあぐねていた。
「（ユートピアコロニーは最初に全滅してたんだよな……。忘れてた）」
「これからどうしましょうか？ 戦うにしても二人だけじゃ……」
「（確かこの後、すぐに地球連合軍は戦線を後退するはず……。救援も望めない。すぐに脱出しないと、火星に置き去りにされる……。）」
「避難民を連れて脱出することを考えた方がいいかもね……、ヤマモト君？」
「（あれ？ ここがユートピアコロニーってことは、もしかしてアキトさんがいるんじゃ……）」
共同生活の最中に何度も聞かされたアキトとユリカの思い出話を思い出す。その時、考え込むカイトの耳を、爆発音が叩いた。
避難民の集まったシェルターの壁が破られ、一機の無人兵器が侵入してくる。逃げまどう人々の中、カイトの目の前で、一人の青年が作業用車両に飛び乗り、無人兵器に向かっていく。
「僕がヤツを抑えている隙に……！」
それは間違いなくアキトの声だった。アキトの言葉に、人々は我先にシェルターの扉に向かって走る。しかし、開いた扉の向こうにいたのは、無数の赤い光、無人兵器の群だった。
爆発音と共に、避難民達がゴミのように吹き飛ばされる。一人無人兵器に立ち向かっていたアキトは、作業用車両の運転席で恐怖に目を見開いている。
「お兄ちゃん！」
そのアキトに、一人無事だったらしい幼女が駆け寄っていく。その背後には、二人に迫る無人兵器の群。
「（助けなきゃ！アキトさんが！）」
カイトはエステバリスに乗るのも忘れて無我夢中で駆けだしていた。
「無茶よ！やめて！」
後ろからイツキの叫び声が聞こえてくる。その直後、アキトが叫び声と共に光を放っていた。
「うわあああああああ！」
アキトと、幼女の体にナノマシンの描くパターンが光を放って浮き出していた。気がつけば、カイトの体にも同じものが浮き出している。
アキトの放つ白い光が爆発的に膨れ上がり、カイトをも飲み込んでいった。
「（ボソンジャンプ！？ 実験の時の光と同じ……）」
「いやぁぁぁぁぁぁ……！」
遠くから聞こえるイツキの声が急速に現実感を失っていき、カイトの意識はまたも真っ白に染まっていった。
体がふわふわして頼りない。夢を見ているように意識が曖昧で、身動き一つ出来ない。
『どう処理しますか？ この個体は内部の情報が混乱を起こしているようです』
『伝達すべきジャンプ先の情報が乱れて、そのままジャンプアウトできなくなった、と』
どこからともなく、無機質な声が聞こえてくる。いや、声というよりも『イメージ』に近いだろうか。
『ですがこの場合はそう難しくもないでしょう。コアユニットの履歴を調べて、元の場所に戻せば』
『では一旦こちらで保護しますか？』
何か会話をしているのは判るのだが、意味を理解する前に、モニターの画面が切り替わるようにその『イメージ』が切り替わってしまうので何を会話しているのかさっぱり判らない。
『いえ、都合のいい状況があります。……この大ジャンプに便乗させましょう』
『その時誘導してやれば良さそうですね……。こちらの都合で、迷惑をかけてしまいましたね』
右から左へと、水が流れて行くかのように『イメージ』が流れて行ってしまう。覚える暇もない。
『これは修正も簡単ですから、まだ良い方です。到着したときには、少し面倒な仕事をしなければなりませんよ？』
『では、まずは一つずつ片づけよう』
光が、弾けた。
気がつくと、カイトは格納庫のような場所に立っていた。目を覚ます前に『何か』の会話を聞いた気がする。
しかし、今は目の前の巨大なロボットが目を引いた。
「（これ、ゲキガンガー！？ いや……木連のゲキガンタイプだ！）」
ナデシコのライブラリにあった記録を、カイトは見たことがあった。観察しているカイトの横を、同じ白い制服を着た兵士が怒鳴り声を上げながら通り過ぎていった。
「おい！ ぼやぼやするな！ 人型と虫型が発進するかもしれん！ 我々の目標であった”都市”が手にはいるかどうかの正念場だ、気を抜くなよ！」
「（優人部隊の制服……やっぱりここは木連の戦艦の中なのか！）」
『都市』が何を指しているのかは解らなかったが、戦闘中らしい雰囲気を察することは出来た。じっとしていて怪しまれるわけにはいかない。何せ自分は立派な侵入者なのだ。これがナデシコなら、今頃艦内に警報が鳴り響いていただろう。
格納庫から早足で逃げ出し、当てもなく艦内を歩いてみたが、当然右も左も解らない。
「（どうやって戻ればいいんだろう……？ 自分でジャンプできれば簡単なんだけど……）」
ＣＣ（チューリップ・クリスタル）と呼ばれるものがあれば、ジャンプできることはカイトも聞かされていたが、ここにはそんなものはありそうもない。途方に暮れて歩き回っていると、ハッチの向こうから威勢のいい声が聞こえてきた。
『敵はあのにっくきナデシコです。艦長！』
『あの快男児、今度こそは……』
この艦は今まさに戦闘中、しかも相手はナデシコであるらしい。ナデシコと聞いて興味をそそられたカイトは、そのまま壁に張り付いて耳をすませた。
『艦長、通信が入っています』
『ん？ ……月臣、いったい何の用だ？』
『……』
『解った。三郎太、艦の指揮はお前に任せる』
通信の内容は聞こえなかったが、中から人が出てくる気配を感じ、カイトは通路の陰に身をひそめた。
ハッチが開くと、体格のいい、男臭い顔つきをした白い制服の男が出てきた。腕には”艦長”と書いた腕章をつけている。
男が傍らの部屋に入たのを確認すると、カイトは、興味本位からまた聞き耳を立てた。
『何の用だ、月臣？』
『例の件なんだが、源八郎、お前の返事を聞きたい』
『何もこんな時に』
『こんな時だから、聞いておきたいのだ』
中から聞こえてくる会話は大分聞き取りにくい。密閉されているはずの戦艦の壁を通して会話が聞こえること自体が不思議だったが。
「（一体、防音対策はどうなってるんだろう？）」
そんなことを考えている間に、中での会話は終わろうとしていた。
『……ありがたい。お前が熱血クーデターに参加してくれると我々には百人力、鬼に金棒だ』
『月臣、お世辞を言うなと言ったろう』
『すまん。だがこれで草壁を失脚させることが出来る……。
……噂をすれば何とやらだ。草壁から通信が入った。切るぞ』
「（熱血クーデター……いつかゴートさんから聞いたあの話の？ ……って、まずい！）」
中から出てくる足音が聞こえる。隠れるのも間に合いそうにないので、とっさに表情を作り、源八郎の先手をとって話しかける。
「艦長、副長が、至急、艦橋にお越しくださるようにと……」
「よし、解った」
疑った様子もなく、源八郎は艦橋へのハッチへ向かう。その背後でカイトが安堵のため息をついたところに、ハッチが向こうから開いて”副長”と書かれた腕章をつけた男が出てきた。
「艦長、草壁中将より通信です。直ちに人型、虫型戦闘機を発進させ、”都市”を制圧しろ、とのことです」
「わかった……。デンジンを出せ！ 三郎太、俺もダイテツジンで出る！」
「艦長、お供します！」
てきぱきと指揮をする源八郎。身を隠す機会を失ってしまい、直立不動で立っているカイトにも、源八郎は出撃命令を下した。
「お前も一緒に来い」
「はあ？」
カイトは命令に逆らう術もなく、慣れないデンジンのコックピットで苦戦していていた。幸いコンピューターが操作のほとんどを受け持っているらしく、操作系はかなり簡略化されている。でなければ、まっすぐ飛ばすこともできなかっただろう。
そこに、どこか余裕を持った源八郎たちの通信が聞こえてくる。
『どうも、この格好は乗りづらいなあ』
『艦長、お似合いですよ』
『ゲキガンガー』の主人公たちのコスチュームに身を包み、どこか楽しそうにぼやきをもらす源八郎と三郎太。ナデシコのクルーたちといい、優人部隊の連中といい、このあたり実によく似ている。
結構気が合うんじゃないだろうか？ などとカイトは考えていた。そこに、通信から聞き間違えようのない声が聞こえてきた。
『ひっど〜い！ ぶつことないじゃない！』
「（ユリカさんの声だ！）」
声は続いた。どうやら通信がオープンで流されているらしい。
『月臣ぃ……通信機から、痴話喧嘩らしきもの聞こえてくるぞ……』
『なにぃ！？』
源八郎たちの呆れた声も聞こえてくる。カイトは、この会話には聞き覚えがあった。この会話は、ナデシコにいる間に何度か上映されていたものだった。もちろんアキトのいないところで。
やがてアキトとユリカの会話が途切れると同時に、二人の乗るエステバリスを中心に白い光が広がっていった。
「うわ、また！？」
その光は、ナデシコと、カイトの乗るデンジンを巻き込んで、次の瞬間、それら全てと共に消えていた。
聞き覚えのある無機質なイメージが『聞こえた』。
『ジャンプに入りました。誘導します……。おや、新たな個体が同じジャンプに巻き込まれました。こちらはどうします？』
『またトラブルか？』
以前に聞いたことがあるものと同じものだと思った。しかし相変わらず意味が分からないし覚えることもできない。
……『何か』憶えのあるものに『ぶつかった』気がした。すぐに行ってしまったが。
『いえ、ただ、情報が一部混乱したようです。多少、影響はあるようですが……。そのままジャンプアウトしました』
『それならば干渉することはない。こちらの個体の状態を記録通りに戻すのを忘れないように……。所持品も元に戻したかね？』
自分が『いじられて』いる気がする。別に不快さはなかったが。
『はい。記憶はどうしますか？』
『それは構わないだろう。勝手にいじっていいものではないよ』
『身体的に異常はありません。ジャンプに戻します』
カイトは、自分が”懐かしい”場所に戻っていくのを感じた。
目が覚めた。
目の前には天井と、ライトが見える。最初に感じたのは自分の中に、『強烈な喪失感』があることだった。
何か大事なものがすっぽりと抜け落ちてしまった、今まで感じたことがないほど強い喪失感。それが、自分の中にあった。意識がはっきりしていくにつれ、それ自体は薄れていったが、無くなりはしなかった。
次に、カイトは自分の周りに注意を向けた。ここはどこだろう、確かジャンプ実験をしていたはず……と、完全には覚めきっていない意識の中で考える。
「知らない天井だ……」
「カイトさん？」
「目が覚めた……？ 実験は失敗したようね」
心配そうな顔をして覗き込むルリ、アキト、ユリカ。そして残念そうな表情のエリナ。
「失敗だったんですか？」
「そうよ、あなたはどこにもジャンプできなかったじゃない」
自分の記憶とは違うことを言うエリナに戸惑うカイト。エリナは、そのカイトに説明を始めた。ジャンプフィールドに降下すると同時に突如モニタリングが不可能になり、一切のデータが取れなかったこと。
慌ててエステバリスを引き上げてみても、外見には何の異常もなく、中ではぼろぼろのパイロットスーツを着たカイトが気絶していたこと。
だがカイトには確信と言うべきものがあった。自分は確かにジャンプして、２１９５年の火星でイツキに会ったはず。それだけはしっかり覚えている。何か確かめる手段があれば……。
「とにかく、カイトさんが無事で何よりです」
「おーおー！ ルリルリに心配されるなんて、幸せもんだねぇ！」
いつの間にか来ていたセイヤがはやし立てる。
「心配してくれてありがと、ルリちゃん。……ところで、何でセイヤがここにいるんですか？」
「いやな、正月だからお前ら相手に騒ごうと思って連絡したらよ、お前がこっちで事故を起こしたってーじゃねえか。ルリルリが心細い思いをしてるんじゃぁないかと、とるものもとりあえず来たって訳だ」
おどけてはいるが、自分を気遣ってくれたセイヤの気持ちがありがたかった。
「いよーし、カイトも目を覚ましたことだし、今日はせっかくの正月だ！ お前らの家に行って一杯やるか！」
「そうですね、そうしましょう！」
「相変わらずね……。後はもうスタッフの仕事だし、私も行くわ」
お祭り好きのユリカが真っ先に賛成する。なんだかんだと理屈を付けながら、エリナも来るつもりのようだ。早速部屋を出ていく一同に置いていかれまいと起きあがったカイトに、ルリが思い出したようにぺこり、とお辞儀をしながら言った。
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ、今年もよろしく、ルリちゃん」
帰り道、ネルガルの車の中でふさぎ込んで何事か考えていたカイトは、ルリに一つ、頼み事をした。
「……後で、もう一度カザマさんのことを調べてもらえるかな」
「前に一度調べましたよ。どうかしたんですか？」
「ちょっとね……。気になることがあったんだ」
さっきの実験でね、と口に出さずに呟いたカイトにルリはいぶかしげな視線を向けたが、それ以上は何も聞かなかった。
部屋に帰り着いた頃には、夜明けまで後数時間、という時間だった。早速ルリに端末を立ち上げてもらい、オモイカネと接続し、情報の検索を始める。
「お、何だ何だ」
「あなた……、勝手にオモイカネと接続して……。だいたい何でもうネルガルとは関係ないはずのあなたがオモイカネと接続できるのよ」
「オモイカネとはお友達ですから」
エリナの詰問に事もなげに答えるルリ。本来、部外者のルリはオモイカネと接続できないはずなのだが、オモイカネの方で喜んで接続してくるので関係ないらしい。その二人の後ろでは、セイヤがアキトとユリカと共に興味深げに覗き込んでいる。
検索画面の中をデフォルメされたエステバリスが走り回り、すぐに検索結果が帰ってきた。
「以下の情報が検索されました……。おかしいですね、情報が少し増えてます。ネルガルさん、何かしましたか？」
「さあ？ 私は知らないわよ」
関係ない、とエリナは投げやりに答える。ルリは気にせず、検索結果を読み上げた。
「イツキ・カザマ（風間 樹）……、本名同じ。２１８１年、静岡県浜松市に父モリオ、母ユカの長女として生まれる。……国籍日本。宇宙連合に入隊後、ネルガル火星研究所にパイロットとして配属。２１９８年、ナデシコに転属。カワサキシティにおいて敵木星トカゲ迎撃に出動。戦闘中、敵ボソンジャンプに巻き込まれ殉職……。以上です」
「前と比べてぇ……、生まれた場所の情報が増えてるね」
ユリカが持ち前の記憶力を発揮して答える。その情報を確認すると、カイトは気になっていたことを聞いてみた。
「エリナさん、２１９５年の開戦時、火星の極冠研究所に『ヤマモト』というパイロットがいたかどうか、調べられますか？」
「出来るけど、そんなのどうするの？」
「お願いします」
不思議そうな表情を浮かべたエリナだったが、真剣な様子のカイトに、何も言わずに検索を始めた。ネルガルのデータベースに入り、ルリでもハッキングしなければ入れない部分を調べていく。
「あら、ほんとにあったわよ……。ヤマモト・ユウスケ（山本 祐介）、２１７６年火星アガルタコロニー生まれ。連合宇宙軍准尉。宇宙連合より、ネルガル火星研究所にパイロットとして出向。２１９５年、第一次火星会戦中に行方不明となり、２１９６年死亡認定。でも、これが一体何……。カイト君！？ あなたもしかして！？」
「戻ったの、記憶！」
エリナとユリカが勢い込んでカイトに詰め寄る。ルリも驚いた表情を隠せずにいた。アキトとセイヤが声をかけようとする前に、表情を消したカイトが続けて尋ねた。
「顔写真、出せますか」
「ちょっと待って！」
エリナが慌ててキーボードを叩く。皆、息を止めてディスプレイを見つめる。やがてディスプレイに表示された顔は、攻撃的な表情を浮かべ、目にはカイトと似ても似つかない鋭い光を湛えていたが、間違いなくカイトのものだった。
「よかったじゃないか！ 記憶が戻ったんだ！」
アキトの言葉に、カイトは曖昧な笑顔で答えた。
「教えてもらったんですよ、火星で」
その後の宴会は、皆が疲れていた為もあって、短いがにぎやかなものだった。
『記憶はまだだが、一応身元が分かった記念』とセイヤが騒ぎ出し、皆が疲れで眠り込むまで数時間続いた。そして宴会が終わり、夜が明ける頃、カイトは一人部屋を出た。
浜松にあるというイツキの家に行き、記憶を取り戻す何かを得ようとしてのことだった。もう記憶を取り戻すことにはこだわっていないとはいえ、やはり心のどこかには、過去を取り戻したいという思いがあったのだろう。
そしてもう一つ、意識を取り戻してからずっと感じている正体の分からない喪失感、それがカイトを動かしていた。日の出の光を浴びつつ一人駅へと向かうカイトに、追いすがって声をかける者がいた。
「私も、ついて行っていいですか？」
「ルリちゃん……。どうしてだい？」
カイトが部屋を出るのに気づいていたらしい。ルリは、カイトの目を見つめながら、しっかりとした口調で答えた。
「過去の記憶を取り戻すのに、私もカイトさんの力になりたい、と思いました」
連れていってもいいのだろうか。カイトは悩んだ。これは自分で解決すべきことなのではないか。自分の過去に他人を巻き込むべきではないのではないか。
だが一人で行く不安もあった。そこに何があるのか、という不安が。そして、自分を心配してくれる家族がいる、ということが嬉しかった。だから、カイトは素直にルリに甘えることにした。
「ありがとう……。嬉しいよ」
ルリは、カイトにも判らないほど微かに頬を染めて、黙って隣に並んで歩きだした。
「結局、何も判りませんでしたね……」
「そうだね……」
浜松からの帰り道、ルリとカイトは並んで列車に揺られていた。浜松にあったはずのイツキの自宅。そこは木連の攻撃を受け、廃墟と化していた。
一年前に戦争は終わり、都市部は復興し、もはや戦争の傷跡はほとんど残っていなかった。だが、都市部から離れたイツキの自宅跡には、生々しい傷跡がはっきりと残っていた。
呆然としたまま廃墟を歩き回ったカイトは、がれきの中から偶然小さな箱を見つけた。しゃれた模様が彫り込まれた小物入れらしい箱は奇跡的にほとんど破損しておらず、壊れた鍵がかかっていた。
そして箱の中には、火星でイツキに渡したはずの、所々融けたようにぼろぼろになっている彼女の写真が入っていた……。
黙って横に立っているルリの肩に手を置いて体を支えながら、カイトは一つのことを理解していた。
自分は戦争で過去の記憶を失った。
しかし、イツキと、イツキの家族は、戦争でその全てを、過去も未来も含めて、本当に全てを失ってしまったのだ、と。
「自分の経歴はある程度判って、詳しいことは後でエリナさんに調べてもらうとして……。記憶は、もう戻らないかな」
どこかさっぱりした表情で、カイトは窓の外を眺めつつ、呟いた。過去の手がかりを完全に失ったと同時に、カイトは自分を突き動かしていた喪失感の正体を理解していた。
火星で垣間見た過去の風景、それは自分にとって『大切な思い出』の筈だった。その『大切な思い出』全てを、カイトは『忘れた』のではなく『失っていた』。
そう、それまでカイトは、『大切な』ものを失い、失っていたことすら気づいていなかった。そして失っていたことに気づいたとき、初めてそれらに対する喪失感を感じていたのだった。
「カイトさん……」
ルリは自分の膝に目を落としたまま、言い聞かせるように、静かな声で語りかけた。
「カイトさん、前に言いましたよね。『思い出せないなら思い出せないなりに、今を精一杯やろう』って。それでいいと思います。過去がない分、今の記憶を大事にすれば。私はナデシコでの記憶が、カイトさんやテンカワさん、ユリカさんと暮らした記憶がとても大事です。過去を取り戻せなくても、私たちとの今の記憶を大事に思えるならば……きっと、寂しくはならないと思います。それに……、私たちも嬉しいです」
ルリは懸命に言葉を選んで話している。それがカイトには痛い程良く判った。その言葉を聞いたためか、無くなってはいないが喪失感は小さくなっていた。
整理したつもりでも、まだ気持ちは完全に静まってはいない。だが、今はルリの気持ちに応えたかった。
「そうだね。……自分で言ったことを忘れてたよ。僕には、ナデシコに乗ってから、四人で暮らし始めてから積み上げた記憶があったんだ。一応の身元は分かったんだから、そこにこれからまた新しいものを積み上げていけばいいんだ」
「そうですよ、カイトさ……。いえ、ユウスケさん、でしたね」
思い出したように言い換えるルリ。
「……カイトでいいよ。こうも言ったよね？ 『過去に何があっても僕は僕』だって。昔の僕は『ヤマモト・ユウスケ』だったかもしれない。でも、今の『僕』はカイトだよ」
「……はい、カイトさん」
ルリは、ポーカーフェイスを崩して精一杯の微笑みを浮かべた。
失ったものは新しいもので埋めていけばいい。ポケットの中の写真を服の上から押さえつつ、カイトは消えてしまったイツキの顔を一瞬だけ思い浮かべた。そして心の中でイツキに別れを告げると、ルリに小さく微笑んだ。
二人の乗った列車は、一路、家族の待つ狭いながらも楽しい我が家へと向かっていった。
「……ねえ、帰りに寄り道して初詣に行ってこようか？」
「そうですね。……そうしましょう」
つづく
後書き
とりあえずこれで一段落です。ここまではサターン版のゲームでいえばシナリオ１”うずもれた『恋のあかし』”のパートになります。
記憶を失ってナデシコに現れたカイトが、ナデシコの仲間達、特にアキト、ユリカ、ルリの三人と触れ合い、互いを大切な家族と認め会う。そしてカイトが失った記憶に対して自分の中で一応の決着をつけるまでがここまでのお話でした。
皆さんいかがでしたでしょうか？判らないことがありましたらどんどんメールください。
感想なんかは更に歓迎いたします（笑）
それでは次回、「機動戦艦ナデシコ Digital Fairy Tales 〜in "The blank of 3years"〜」
２１９９年３月、地球と木連との戦争はようやく決着しようとしていた。
火星における和平交渉、その席にカイト達旧ナデシコクルーは招集される。
会議の最重要項目である”極冠遺跡”について、最も多くの知識を持つ人材として。
懐かしい顔ぶれが火星に揃う。そしてまた新しい仲間との出会い。
火星に集結したナデシコのクルー達に、何が待ち受けているのだろうか？
第六話 再び集結！『ザ・ライトスタッフ』
でお会いしましょう。
最後に、この作品を掲載して下さった河田さん、本当にありがとうございました。
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「機動戦艦ナデシコ」はジーベックの作品です。
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