５
事態の進展は、予想よりも遅々としたものになった。加えて言えば、単調だ。 海鳴近辺の心霊現象について調査する段階までは、予想を上回る効果があった。退魔業界（？）に名立たる神咲の協力要請に、フリーの退魔師からも続々と情 報が寄せられた。 それは良かったのだが……反響が多すぎたのだ。 出てくる、出てくる。 海鳴では霊障の類が起きやすいという統計が出てはいるが、それにしてもたいした数である。海鳴周辺の街も捜索範囲に入れていたせいもあるが、一番の原因 は、危惧していたように『霊障ではないもの』の情報も含まれていたことにあった。 選別の段階で、ただの噂話としか思えないレベルのものは斬り捨て、信憑性が高いもの、退魔師から寄せられた情報などを残しはしたが、それでもやはり玉石 混合である。 『背中から羽を生やした女性が空を飛んでいた』という目撃情報に耕介が住人を叱りつけ、人間に変身する狐の噂に那美が頭を抱え、真夜中に剣を持って徘徊 する辻斬りの霊の怪談に恭也が溜息をついた。 秋休みが開けると、那美と恭也の行動時間が狭まったこともあり、調査はさらに難航した。わざわざ出向いても、空振りだったというパターンが何日も続い た。 本物の霊障を発見することもあったが、その場のあの＜剣士＞の霊は現れなかった。もちろんその場合は、退魔師本来の仕事として霊を払うことを忘れはしな かったが。 調査の過程で気付いたことは、やはり彼はこの近辺にいる、ということだった。二件ほど、明らかに霊障だと思われる事件が『解決』していたからだ。 運が良いのか悪いのか、那美・恭也・久遠組が担当した例は全て『外れ』だった。 結局、恭也たちが本物らしい事例と巡り合えたのは、一週間以上経ってからのことだった。 そこは病院だった。 より正確に言えば、そこはかつて病院だった、ということになるか。廃病院である。 今となっては昔話であるバブル崩壊の煽りを受けて閉鎖したらしいが、その後、不法侵入した浮浪者が変死するなど、異変が続いたらしい。判明しているだけ でも、四人もの犠牲者が出ている。 今回、那美たちが『捜索』に乗り出さなければ、犠牲者はもっと増えていただろう。現在の所有者が、心霊現象を一切信じないタイプの人間であったからだ。 彼は、コネを伝って除霊を申し出た那美たちに、まるで詐欺師か何かを見るような目を向けてきさえした。軽蔑した様子で、「金は一切払わない」とも言っ た。 さしもの恭也も、いくらか憮然としたものだが、那美は平然とした様子でこの仕打ちを受け入れていた。彼女に言わせると、「良くあることですよ」というこ とらしい。 一般的に、退魔師に対する世間の反応は冷たいものだ。人の不幸につけこんだり、人の死を弄んだりするような『自称霊能力者』の行いが原因だろう。 那美によれば、メディアに露出している霊能力者のうち、本当に力を持っている者は皆無と言って良いらしい。まともな神経の持ち主なら、思いを残して死ん だ人と向き合ってなお、その能力を自慢するようなことを出来はしない。 だから、と那美は笑った。 このビルのオーナーのような反応は、むしろ正常なものなのだ。少なくとも、霊能者だと言って崇められるよりはずっと気持ちが良い、と那美は言っていた。 恭也は、神咲の一族が背負ってきたもの、その一端を垣間見たような気がした。 とはいえ、今回はその「正常な反応」がマイナスの方向に働いてしまったようだ。 ふたりと一匹が見上げる寂れた病棟からは、さしたる霊感を持たない恭也でさえ感じ取れるほどの濁った気配が漂っていた。 「……これは……」 巫女服姿の那美が息を飲む。足元の久遠も、小さく身構えていた。 閉鎖された空間、隔絶された世界には、『念』が淀みやすい。廃ビルの類や学校などで霊障が起こりやすいのは、このためだ。ましてや病院ともなると、死が 集まる場所でもある。 普段であれば、そこには人の出入りがあるし、死を乗り越えた人に送られる祝福や、場合によっては生まれ出る新たな命の輝きもある。 しかしこの病棟には、ただただ陰鬱な空気があるだけだった。霊的に、墓地とそう変わらない状態になっているのではないか。それも、誰も参ることのない忘 れ去られた霊場だ。 「……神咲さん。どう思います？」 「間違いなく、本物です」 確認のための質問に、那美がきっぱりとした答えを返してきた。 恭也は頷き、手早く装備の確認を行った。 腰に帯びている小太刀は、愛刀の『八景』ではなく、楓から受け取った破魔の小太刀だ。 ここ数日、鍛錬の間に振り回したおかげで、だいぶ手に馴染んでいる。正直、『八景』には劣ると思うが、なかなかに良い刀だった。 他にも、普段通りに飛針、鋼糸、小刀……御神流における、基本的な完全武装だ。霊体相手には通用しない代物だが、それでも一通り身につけておいた。こう いった『幽霊屋敷』タイプの場では何が起きてもおかしくないから、準備しておくに越した事はないだろう。何かの役には立つはずだ。 横で愛刀の『雪月』の具合を確かめていた那美と目を合わして、頷きあう。 「それじゃ、久遠はしばらく待っていてね。何かあったら呼ぶから、それまで来ちゃ駄目だよ？」 「……くぅ〜ん」 しゃがみ込んで頭を撫でる那美に、久遠が不安げな鳴き声を漏らした。 「大丈夫。それじゃあ、また後でね」 小さな頭を最後にもうひと撫でして、那美は立ち上がった。 そして、もう一度ふたりで顔を見合わせる。 「――行きましょう」 那美の先に立って、恭也は足を踏み出した。 寂れた病棟内には、淀んだ空気と重苦しい雰囲気とが充満していた。 常人なら異常な寒気を感じているだろうし、霊感の強い人間ならば異質な空気に怯えて逃げ出しているところだろう。 無論、退魔師である那美にとっては馴染んだ空気であるし、恭也もここ最近の経験のおかげで、勘を鈍らせることなく行動できるようになっていた。 最初に入った場所は、当然、ロビーになっていた。 恭也も那美もそれなりに夜目が利くので、微かに差しこむ月光だけでも室内の様子が見て取れた。一応、懐中電灯も用意してあるが、とりあえず必要なさそう だ。 かつては患者が待ち時間を過ごしたであろうロビーも、椅子が壊れていたり、外部から持ち込まれたと思しきゴミが散乱していたりと、すっかり薄汚れてし まっている。 恭也は那美からやや先行するかたちで、慎重に足を進めていた。 除霊中には、いわゆるポルターガイスト現象が起きて、物が飛んできたりすることもあるため、動きが鈍い那美の前には恭也か久遠が立つのが基本陣形になっ ているのだ。 ちらりと那美の様子を窺うと、人差し指で上を指差した。「上へ」ということらしい。 頭に叩き込んでおいた図面を思い起こして、二階へのルートを検討していた時だった。 頭上から、突風のように何かの圧力が吹きつけてきた。 反射的に飛び退いて那美を庇う位置に移動すると、圧力は収縮するかのように引いていき、そして弾けた。 その圧力が向かう先が自分たちではないと気付き、恭也は構えを解く。 次の瞬間、病棟内の空気が変わった。 建物を覆い尽くしていた邪念が消え去っていたのだ。ほんの一分前とは違い、今のここはただの廃病院に過ぎなかった。 「神崎さん、これは……」 呆気に取られる暇もなく、この変化が指し示す事実に気が付き、恭也は表情を固くした。 那美は頷き返して叫ぶ。 「とにかく、上、ですっ！」 暗闇の中、ややおぼつかない足取りな那美の手を引き、恭也も走り出した。 |