『キャ プテン』・オブ・ナデシコ



１





　――そして、星の光を纏った闇の中を閃光が走った。　　　　
「ミサイル全弾命中を確認。敵右翼のヤンマ級、撃破しました」
「敵機動部隊、前進してきます」
「タカスギ機、スバル機が迎撃に向かうとのことです」
「……ふむ。順調ですな」
　次々と送られてくる報告を聞いて、プロスペクターが満足げに頷いた。
　ワンマンオペレーションシステムを採用しているナデシコBにとって、口頭の報告は大した意味を持たないのだが、クルー間のコミュニケーションという点に おいてはこういった利点がある。
　効率良く進む戦闘に、プロスペクターは宇宙ソロバンを叩いて上機嫌だ。
「会計担当として送られている身としては、経済的な戦闘はありがたいです、はい」
「所詮、旧式の無人艦隊です。あの程度の数では、脅威にはなりません」
　隣に並ぶゴート・ホーリーが、いつも変わらぬむっつりとした表情で答えた。
「ええ。このあたりは、『火星の後継者』の勢力下ではありませんからね。敵も戦力を割きたくないのでしょう」

　現在、訓練戦艦ナデシコBが航行している宙域は、新生『火星の後継者』と連合軍・統合軍との主戦場からは、かなり離れた場所である。
　本来ならば、今ごろはナデシコも敵の本拠地に乗り込んでいるはずだったのである。しかし、ヒサゴ・プランを使用したボソン・ジャンプの途中で敵の策略に 乗せられてしまい、こうして太陽系の辺境を移動する羽目になっていた。　
　今回の戦闘も、ただの遭遇戦。戦略的には何の意味もない。

　二人が会話を交わす間にも、エステバリス隊は着実に敵の戦力を削っていた。
　と、敵の戦力が半分以下にまで落ち込んだ頃、IFSシートに座るマキビ・ハリことハーリーが怪訝そうな面持ちになって口を開いた。
「艦長のエステバリス、防衛線から前進しました」
　ハーリーの報告に、ゴートが心持ち眉をひそめる。
「あれでは突出しすぎだ。包囲されるぞ」
「予定には無い行動ですよね。……ホシノ少佐」
　ハーリーは不安そうな様子で、ブリッジの中空にせり出した艦長席を見やった。
　そこでは、ナデシコＢの本来の艦長である、”電子の妖精”ことホシノ・ルリが、艦と戦場の様子を監視していた。ワンマンオペレーションシステムを起動中 のルリは、この艦の誰よりも現状を把握しているはずだ。
　だが、ブリッジ前方にせり出した艦長席でウィンドウ・ボールに包まれているルリは、そっけなく答えた。
「構いません。──それよりも、グラビティ・ブラストのチャージをしておいて下さい」
「え？」
「すぐに艦長命令がおりるはずですから」
　何の説明もなしに言い切ると、ルリはウィンドウを閉じてしまった。
　ハーリーがオロオロと操作をするうちにも、敵のバッタ部隊は艦長機を包囲しようと群がり始めていた。
「ホシノ少佐。通信で注意をうながしたほうが良いのではないか？」
　業を煮やしたのか、ゴートが進言した。　
「大丈夫です。……ほら」
「え？」
　ブリッジ中の視線が、メインウィンドウに集中した。
　艦長が駆る黄金色のスーパーエステバリス──セイヤとヒカルが「指揮官のエースパイロットが乗るのは赤か黄金の機体に限る」と言ってこの色に決定したら しい──は、包囲網が完成する直前に、高い機動性を活かして一気に後退した。
　敵は慌てたように（無人兵器には慌てるなどという感情はないだろうが）艦長機を追う。
　スーパーエステバリスは、微妙な速度の増減や位置の変更を行いながら、ナデシコへと近づいてきた。
　バッタの群れは、さながら光に誘われる虫の如く、その後を追い続ける。
「これは……」
　プロスペクターが、我知らずといった様子で呟きを漏らした。
「グラビティ・ブラスト、発射準備」
　ルリの凛とした声が響くのとほぼ同時に、ブリッジに通信用のウィンドウが開いた。
　そこには、艦長候補生としてナデシコに乗り込んだ青年の顔が映っている。
『エステバリス各機散開！　ナデシコ、グラビティ・ブラスト発射！　目標、敵機動兵器部隊！』
「了解。グラビティ・ブラスト発射」
　さすがは歴戦のエースたちだけあって、エステバリス隊は、既にナデシコの射線軸から離れている。
　ルリの意思に従って、ナデシコから敵部隊へと高重力の槍が伸びた。
　戦艦級のグラビティ・ブラストを受けては、バッタレベルのディストーション・フィールドは紙にも等しく、一瞬で押し潰されていく。
　そして、重力波が走り抜けた空間に、細かな光が瞬き……後には、何も残らなかった。





「敵全滅を確認」
　ルリの声に、ブリッジが沸いた。
　隣り合ったオペレーターたちが軽く手を叩きあい、ゴートが感心したように息を漏らし、プロスペクターはさっそく戦闘経費の計算にかかっている。
「艦長、お疲れ様でした」
　ルリにねぎらいの言葉をかけられて、艦長が柔和な笑みを浮かべた。
『少佐こそ、お疲れ様でした。申し訳ありません、勝手な行動をとって。通信する時間が惜しかったものですから』
「いえ。やろうとしたことは分かっていましたから。それに、今の艦長はあなたですから、『勝手な行動』というわけではありませんよ」
『そうでしたね』
　艦長は笑って頷く。
『それでは、これから帰艦します。 艦内警戒パターンはAからCへ移行してください』
　と、その横に新しいウィンドウが開いた。
『ったくよ。何かやるときは、ちゃんとオレたちに言ってからにしてくれよな』
　不満そうに言ったのは、スバル・リョーコである。
　だが彼女は、すぐに口の端をにやりと吊り上げると、
『ま、それはいいとして。艦長、今日は何機落とした？　ちなみにオレは三十六機だ』
　不敵な表情で尋ねた。
　リョーコの言葉に応えて、艦長は手元のコンソールをいじるような仕草を見せる。
『ええと、私は……ああ、三十八機ですね』
『なにぃ！　二機差かよ……今回は貰ったと思ったんだけどな』
　悔しそうなリョーコのウィンドウの横に、ぽんぽんぽんと三つのウィンドウが開いた。
『やりぃ！　あたしたちの勝ちぃ』
『リョーコ、かちぃーん……くくく』
『……？　おいヒカル。お前ら、そんなに落としてたか？』
『ふっふっふっー。違うよーん。サブちゃーん。ちゃんとお金払ってよねー』
『ちぇ。今回は中尉が勝つと思ったんだけどなぁ』
　リョーコはハッと目を見開くと、怒りで顔を赤くした。
『あー！　お前ら、人を賭けの対象にしやがったな！』
『へっへー』
『まあまあ中尉。俺はちゃんと中尉の勝ちに賭けてましたよ』
『そ、そういう問題じゃねぇ！』　
　ギャーギャーと騒ぐパイロットたちと、それを仲裁しようとして逆に巻き込まれている艦長に苦笑しながらも、ブリッジではオペレーターたちが無駄口をたた いていた。
「それにしても、艦長とホシノ少佐、相変わらず息が合ってるよな」
「ああ。エステに乗りながら作戦を考えられる艦長も凄いが……ナデシコの指揮を執りながら艦長のサポートをしている少佐もさすがだな」
「やっぱり、天才艦長同士、合い通じるものがあるのかしらね」
「電子の妖精とそれを護るナイト、ってか？」
　戦闘を終え、緊張が途切れた反動からか、軽口も弾む。
「…………」
　そんな、戦闘終了後のリラックスした空気の中、ハーリーだけがどこか憮然とした表情で黙り込んでいた。
 

 
 


「なぁーにをブスッとしてるんだ、ハーリー？」
　食堂へと向かう道すがら、横に並ぶハーリーにサブロウタは尋ねた。
「……別にブスッとなんてしてませんよ」
　ハーリーは、不機嫌そうな顔のまま、サブロウタを見もせずにそう答える。
「してるって。ほれほれ、せっかくのかわいい顔が台無しだぞ、うん？」
　つんつんと鼻をつつかれて、ハーリーはキッとサブロウタを睨みつけてきた。
「な、何が『かわいい』ですか！」
「ほめてるんじゃないか」
「ボクは男です！　かわいいなんて言われても嬉しくありません！」
「うーん。そんなところがとってもプリティ」
「サブロウタさんっっっ！」
「……ふむ」
　サブロウタは、怒鳴りつけてきたハーリーの顔を逆に覗き込んだ。気圧されたように身を引くハーリーに、言ってやる。
「……ジェラシーか？」
「な……！」
　図星だったらしく、ハーリーは顔を赤くしながら口をパクパクと開け閉めした。
「まーな。ああまで息の合ったところを見せ付けられると、焦る気持ちも分かるけどよ」
「そ、そんなんじゃありません。ボクはただ……」
「へいへい」
　言い訳を始めたハーリーの言葉を聞き流しているうちに、目的地の食堂が見えてくる。
　ハーリーは憤然として、早足になって先に進んでいき──食堂の入り口で唐突に足を止めた。食堂の一点を凝視して、凍り付いている。
　サブロウタはハーリーの視線を目で追い、「あちゃー」と呟いた。
　食堂では、艦長とルリが同じテーブルを囲んでラーメンを啜っていた。
「……っ！」
「おい、ハーリー！」
　ハーリーはその場で踵を返すと、無言のまま走り去ってしまった。
「やれやれ……弱ったな」
　言うほど困っているわけではなかったのだが、サブロウタは苦笑して肩をすくめた。
　ひとり頭をかいていると、首を傾げたセイヤ、パイロットの三人娘、そしてどういう組み合わせなのかオペレーターのウッドフォード准尉が連れ添って近づい てきた。
　サブロウタと目を合わせたセイヤが、親指を背後に向けて尋ねてくる。
「おいサブ。何かあったのか？　ハーリーが泣きそうな顔して走ってったが」
「というか、半分泣いてたよねぇ、リョーコ」
「ああ」
「泣いて、走る……内心は知る……ふふ……いまいち……」
「……そ、それで、原因はなんなんです？」
　イズミの冷凍ギャグに身を震わせるウッドフォード准尉に、サブロウタは首をしゃくって食堂を指し示した。
　首を傾げつつ、五人は食堂を覗き込む。
「……なるほどねぇ」
　即座に、ヒカルはうんうんと訳知り顔で頷いた。
　横では、リョーコが呆れた様子でルリたちを眺めている。
「あー？　ヤキモチかよ」
「しょうがないんじゃない？　思春期だし、ただでさえハーリー君ってルリルリ命だもん。んー、フォローした方が良いかなあ？」
　こちらを窺うヒカルに、サブロウタは軽く肩をすくめて見せた。
「あんま甘やかすのも上手くないですしね。ま、しばらく放っておけば頭を冷やすさ」
「それはそうでしょうけど、この間みたいなことになるとまずいんじゃないですかね」
　そう言って、ウッドフォード准尉が眉をひそめた。
　確かに、どうにもハーリーは、ルリが絡むと艦長に突っかかっていく傾向がある。先日も、ルリ絡みの事件で自室に閉じこもったばかりなのだ。
「確かに、あの時の二の舞は避けた方が良いか……ふむ」
　考え込むサブロウタの横で、セイヤがキラリとメガネを光らせた。
「ふっ……しゃーねーな。ここはひとつ、俺たちが一肌脱ぐとするか！」
 


 



　暗い室内に、声が響いた。
　重厚で……意味もなく格式ばった感のある、そんな声。
「──それではこれより、第一次調査委員会を開会する。まずは諸君に、調査対象についてのデータを知ってもらおうかと思う。……副委員長」　
「はい。皆様もすでにご存知の情報が多いかと思いますが、整理をする意味も込めて、一通りお聞かせしようかと思います」
「うむ。それでは、ターゲットの経歴から」
「はっ。地球は日本国出身。地球連合大学戦略シミュレーション実習を首席で卒業した逸材です」
「なるほど。どこかで聞いたような経歴だな」
「確かに。シミュレーションでは、ナデシコ初代艦長ミスマル・ユリカと並ぶ好成績を残しています。ただ彼の場合、指揮官としての技能以外でも、注目すべき 成績を残していました。特にパイロットとしての腕前は、本職のパイロット候補生以上だと評判だったそうです。事実、模擬戦では不敗神話を打ち立てていま す」
「わざわざナデシコBを訓練戦艦としてあてがっただけのことはあるということか」


「……ま、宇宙軍の人材不足は深刻だもんなぁ。特に指揮官とパイロットは」　　
「──指揮官は、たくさん、統合軍へとバーイ、アロット……ふふ、ふふふふ」


「…………」
「…………」
「……話を戻します。これだけの経歴を持つ人材ですから、上層部でもミスマル・ユリカ以来──いえ、こういう表現をしているのは、約一名だけだそうですが ──の逸材と評判だそうです。ご存知のように、今回、新生『火星の後継者』の叛乱にあたり、突然実戦に放り込まれたにも関わらず任務を遂行していますか ら、評価も鰻のぼりでしょう」
「なるほどな。軍人としての能力は分かった。次に、人間関係は？」
「良好、と言って良いかと。どのクルーにも分け隔てなく接しますし、物腰も丁寧です。少しずつクルーの信頼も勝ち得てきているようですから」


「あの人、誰に対してもやたらと口調が丁寧だよな」
「……訓練生ということで遠慮してるんじゃないですか？」
「そうか？　オレは、あれが地なんじゃないかって気がするぜ」


「静粛に。副委員長、人間関係は良好とのことだが、それでは女性関係は？」
「艦内はもちろん、艦の外にも恋人はいないようです。ただ、ここ最近はルリル……ホシノ少佐と親しくしているとの情報があります」


「あ、あれは違いますよ！　艦長を補佐するのがルリさんの仕事だから、任務上一緒にいることが多いだけです！　恋人とかそういうんじゃありませんっ！」
「だけどよ、仕事上の信頼関係が、いつの間にやら淡い恋心へ、っていうのもよくあるパターンだぞ。ねぇ、中尉？」
「バ、バッキャロー！　知るか、んなこと！」
「サブロウタさん！」


「静粛に。艦長とホシノ少佐の仲について調査するのも、当委員会の目的のひとつだ。……調査員Aも不用意な発言は避けるように」
「調査員Aって……ま、いいけどさ」
「それにしても、委員長。こうして整理してみると、やはり情報が不足しているのは否定できないところですね」
「うむ。もっと多くの情報が必要だな」
「――それでは？」
「ああ。……これより我が委員会は、艦長とホシノ少佐の身辺調査を開始する！」


 
　パチッ。
「──照明消して何やってるんですか、皆さん？」
　照明のスイッチに指を当てたまま、オペレーターのサクラ准尉が訝しげに尋ねた。
「ああ、いや、なんでもない。ちょっとな」
　『委員長』と書かれたネームプレートを外しながら、セイヤが答えた。
「はあ……まあいいですけど。危ないから明かりは消さないで下さいね」
　そう言うサクラ准尉の目は、『関わりあいになるのは避けよう』と雄弁に語っていた。
「すまないね、サクラ准尉。おわびに今度、お茶でもどう？」
「遠慮しておきます。それでは失礼します」
　サクラ准尉は軽く頭を下げると、さっさと歩き去ってしまった。
「サブちゃん、玉砕―」
　『副委員長』と書かれたプレートを付けたヒカルが、ケラケラと笑う。
「何言ってんだ。こういうのは女性に対する礼儀だよ。第一、俺が中尉の前で浮気なんてするわけないじゃん。な、リョーコ？」
「な……何が『リョーコ』だ、呼び捨てにすんじゃねぇ！」
　ギャーギャーと騒ぐ二人を横目に、ハーリーは憮然として口を開いた。
「まったく。大事な話があるって言うからついてきてみれば。一体何なんですか、これは」
　サブロウタは、殴りかかってくるリョーコの拳を器用に避けながら、人差し指をびっとハーリーに向ける。
「だから、『艦長とホシノ少佐の仲について調査しよう委員会』だよ。活動目的は、名称の通り。お前も気になるだろうと思ったから、呼んでやったんじゃない か」
「──べ、別にボクは気になんてしてません」
　ハーリーは身を乗り出しつつ、声に力を込めて続けた。
「だ、第一、ルリさんのプライベートを覗くなんて、良くないですよ！」
　だがサブロウタは平然とした顔で、憤然としているハーリーの顔をペチペチと叩いてくる。
「なんかお前、誤解してないか？　別に、ホシノ少佐の生活を覗き見ようって言ってるわけじゃない。基本的に、調査する対象は艦長だ」
「へ？」　
　思わず気の抜けた声を漏らすハーリーの前で、一同がうんうんと頷いている。
「いいか、やむをえず実戦に突入してしまってはいるが、ナデシコＢの本来の任務は、訓練航行なんだ。言うまでもなく、艦長候補生の訓練を行うのが目的のひ とつ。そして、候補生が艦長たるにふさわしい人物なのか、テストするのも目的のひとつだ。ここまではいいな？」
「……はい。それはわかりますけど」
　ハーリーは、理路整然とした説明に押されて、しぶしぶ同意した。
「そしてその評価の対象のひとつには、俺たち『クルーの支持率』というのも含まれている。つまり俺たちには、艦長候補生がどういった人物なのか、知る権利 と義務があるわけだ。従って──」
　サブロウタは、確信に満ちた表情で腕を振り上げた。無意味に力強く。
「艦長とホシノ少佐の関係についても、俺たちは知る必要がある！」
　そう言い切るサブロウタからは──信じられないことに──何の迷いも躊躇も感じられなかった。
　木連の暗部のようなものを感じつつ、ハーリーは言葉に詰まった。
　はっきり言って、詭弁もいいところだ。理論が完全にボソンジャンプしている。
　だが──
「なぁ、ハーリー。確かにプライベートまで踏み込むのは問題があるかもしれないが、これも任務の一種だよ。やむをえない処置さ。適正の無い人間が指揮官に なることほど不幸なことはないだろう？　俺たちが艦長たちをしっかりと評価することは、宇宙軍全体にとっても必要なことなんだ。そうだろ、な？」
　猫なで声を出しながら肩を叩いてくるサブロウタの背に、ハーリーは確かに見たような気がした。
　パタパタとはばたく黒い羽と、ウネウネと動く先の尖った尻尾を。
「──！」
　ハーリーはぐっと拳を握り締めると、勇気を込めてサブロウタの顔を見上げた。
　いつだって、本当に必要なものは勇気とそれを支える強い意志なのだ。
「そ、そうですよね。仕方ないですよね！」
　悪魔だとかそういったものに魂を売ってしまったような感覚の中、ハーリーは頷いた。





２






「それでは、後はよろしくお願いします、サブロウタさん」
「ハーリー君もがんばってね」
「ええ。お二人とも、お疲れ様っす」
「は、はい。お疲れ様でした、ルリさん！」
　引継ぎの挨拶を済ませると、艦長とルリはふたり並んでブリッジを後にした。
　サブロウタはしばらく手を上げたままの姿勢で固まっていたが、ふたりが戻ってくる様子がないことを確かめると、口元に笑みを浮かべてシートから立ち上 がった。　
　ハーリーのシートへと歩み寄りながら、コミュニケで通信を開く。
「こちらA班。ただいま、目標はブリッジを出ました。B班、追跡願います」
『りょーかい！』
　宙に開いたのは、ヒカルのウィンドウである。
『了解……あれ、リョーコ、かい？……くくくくくっ』
『人の名前でダジャレを作るな！』
　続け様に、イズミとリョーコのウィンドウが開く。
　この三人娘が『B班』だった。
『それでは、追跡開始ー！』
　ヒカルのウィンドウの横に、彼女が持つ小型ビデオカメラの映像が加わる。
　中部・下部ブリッジでは、その映像をオペレーターたちが興味津々といった様子で眺めていた。　
　映像の中、ルリと艦長のふたりは何かを話しながら通路を歩いていく。
『それでは、ウリピー特製集音マイク、スイッチオン！』
『おーん』
　半瞬のノイズの後、ブリッジに艦長の声が流れて出る。
『──ですね。敵は無人艦が多いですから』
『多数の無人兵器からなる艦隊を相手にする場合は、その戦術でいきましょう。ただ、敵の本拠地ともなると、敵主力とぶつかる可能性がありますから……当 然、有人艦も混ざってきますよね』
『ええ。正面からぶつかると、さすがに厳しいと思います。ナデシコCがあれば、私とオモイカネで敵のシステムを掌握できるんですが』
『まあ、統合軍も動いているらしいですから、付け入る隙はあると思います……』　
　ふたりの会話に割り込むようにして、ヒカルが呆れたような声を上げた。
『予想はしてたけど……なんか、休息中なのに仕事の話ばっかだね』
「ふたりとも生真面目な上に責任感が強いからな。常に任務の事を考えてるのさ。な、ハーリー？」
　サブロウタは唐突にハーリーへと話を振った。
　ハーリーは少しびっくりした顔で背筋を伸ばし、複雑な面持ちでウィンドウを見上げた。
「え？……あ、そうです……ね」
　呟く横顔には、どことなく力が無い。
　ふたりが一緒にいること光景は気に入らないのだろうが、それ以上にハーリーは、どちらの『艦長』も尊敬しているのだ。
　こうして真剣に打ち合わせをしているところを見せられれば、つまらないことで嫉妬している我が身を客観視せざるをえないだろう。
　そんなハーリーを見て、サブロウタはこっそりと満足げな笑みを浮かべた。
　どうやら、今回の茶番の目的は達成できているらしい。　
　昨日、ハーリーが泣きながら走り去った後、皆で話し合った結果、出たアイデア。
　それは、
「そんなに気になるんなら一度じっくりと見せてやろう」
　というものだった。
「あの二人に限って、浮ついた関係になどなるはずがない」
　というのが、全員の一致した見解だったのである。
　ルリも艦長も責任感が強いし、艦長に至ってはワーカーホリックの気さえある。少なくとも、ふたりが一緒にいてプライベートな会話をしているところなど、 艦内の人間で見たものはいない。そんなふたりなのだ。
　その様子を、じっくりとハーリーに観察させる。
　ヤキモチが完全に消えることはないだろうが、ハーリーが良い意味で、艦長に対する対抗心を持ってくれれば──
　それが、今回の『作戦』の目的なのだ。
　もっとも、その場に居合わせたウッドフォード准尉からは、
「そんなことをしなくても、一度時間をとって話し合いをすればすむことなんじゃ」
　という意見が提出されたが、圧倒的多数の反対により却下された。
「それではつまらない」
　さきほどよりも、さらに強い見解の一致であった。
　──もっとも、ウッドフォード准尉は呆れたように手を広げていたが。
　ちなみに彼は、今は他の同僚たちと同じく、自分の席からウィンドウを見上げている。どうやら、不干渉の立場をとることにしたらしい。
『……なんか、ちょーっとやる気がなくなってきたけど、一応追跡ぞっこー！』
『へいへい』
　イズミは無言のままマイクを構え、リョーコは面白くもなさそうな表情でヒカルの後を追って歩き始めた。
　艦長とルリはあいも変わらず仕事の話を続けながら、突き当たりのT字路を左へと折れて行った。
　見失わないようにと、三人娘が小走りに角を曲がった瞬間──
『何をしているんです？　皆さん』
『わっ！？』
　ヒカルが驚きの声を上げた。　
　角を折れてすぐのところに、艦長とルリのふたりが並んで立っていた。
　艦長は怪訝そうな表情、ルリは無表情ながらも微かに警戒心の混じった表情を浮かべている。
『は、はは。艦長こそ、どうしたんです？』
　こうもあっさり見つかるとは思っていなかったのだろう、ヒカルが誤魔化し笑いを浮かべながら間抜けなセリフを吐いた。
　質問に質問を返されたにも関わらず、艦長は律儀に答えを返してくる。
『はあ。なんか尾行されているような気がしたので、確めてみようと思って待っていたんですけど……何をしているんです？』
『いやだなぁ、尾行なんてしてないですよぉ。ルリルリと艦長の姿が見えたんで、追いかけてきただけですって。ねぇ、リョーコ？』
『お、おうっ！』
『はあ、そうだったんですか』
　なぜかあっさりと納得してしまった艦長を見て、ヒカルは爽やかな笑顔を浮かべた。勢いで誤魔化すつもりらしい。
『じゃあ、そういうことなんで、失礼をば……』
　素早く逃げ出そうとしたところで、それまで黙っていたルリが口を開いた。
『それ……マイクじゃありませんか？』
　指差す先には、集音マイクを口元に当て、何事かをブツブツと呟いているイズミの姿があった。
　嫌な沈黙がその場を支配した。
『……あ、あはははは。これはウリピーにイズミちゃんが作ってもらった特製マイクだよ。調子がおかしいから今から見てもらいに行くところ。ね、リョーコ』
『……あ？　ああ、そうだったな』
　げんなりとした様子で、リョーコが投げやりに頷いた。
『特製マイクって……何に使うんですか？』
　あまり表情は変わらないが、ルリの口調からは猜疑心が盛大に漏れ出していた。流石はＡ艦の頃からのナデシコクルー、悪ふざけの気配には敏感である。
　ヒカルもルリの疑念を感じたのか、ふっふっふっと意味の無い含み笑いを漏らしてから、イズミを指し示した。　
『もちろん、マキ・イズミ一人漫談のためですよー。ね、イズミちゃん』
『はいー。……マイク・イズミでーす。……ふふ、ふふふふふ』
『……』
　これは、下手な言い訳よりも効果があったらしい。
　ルリは軽くため息をつき、まだイズミのダジャレに慣れていない艦長が脱力する。
　そこに隙でも見出したのか、ヒカルが改めて手を上げる。
『じゃあそういうことなんで、失礼しまーす』
　一方的に言い放つと、三人は脱兎のごとく逃げ出した。
　
 



「ふう。危なかった、危なかった」
「まったく、ヒヤヒヤさせるぜ」
　『安全』なブリッジにたどり着いて、リョーコとヒカルがほっと息を吐いた。
　──本気でごまかせたと思っているんだろうか？
　サブロウタは疑問に思ったが、口には出さないでおいた。ポジティブシンキング、おおいに結構である。現状ならば、露見してもサブロウタにまで類が及ぶ可 能性は低いことであるし。
「それにしても……普通、あの距離で尾行に気づくかぁ？　全身センサーでできてるんじゃないのか、あの人たちは」
　サブロウタは、感心を通り越して呆れた気分でぼやいた。
「ルリルリは元々そういうとこ鋭いし、艦長は何かと芸が多いもん。でもこれじゃあ、この先の尾行方法、考え直さなきゃいけないねえ」
「でもよ、あれで感づかれるようじゃ、尾行自体が難しいぜ？」
　リョーコが腕を組んで小さく唸ったときだった。
「ふっふっふっ！　この俺様に任せな！」
　どこからともなく現れたのは、言わずと知れたウリバタケ・セイヤだ。
　彼は得意げに胸を反らすと、周囲の関心を集めている事実に満足げな笑みを漏らした。
「よーし……こんなこともあろうかと！　そう、こんなこともあろーかと！　俺が開発しておいたものがある！」
　セイヤは懐から、大昔の──それこそ二百年以上前の──ラジコンのコントローラーのような物を取り出した。
「よーし、来いロボ！」
　言いながら、アナクロなコントローラーを操作する。
　アンテナらしき物の先端についた電球が、ぴかぴかと怪しげな光を発した。
　…………。　
「……来ないよ、ウリピー」
　白けた顔でヒカルが呟いた。
「おおっと、いかん。光学迷彩解除！」
　セイヤは慌ててコントローラーについているボタンを押した。
「──おおっ！」
　次の瞬間、サブロウタたちは驚きの声を上げていた。
　それまで何の姿もなかったブリッジの床に、全高３０センチほどの小型メカが出現したからだ。
　ヒカルは床に立つメカの横にしゃがみこむと、メガネを押し上げながらまじまじと観察した。
「これ……小さいけど、エステちゃん？」　
　より正確に言えば、旧タイプの砲戦フレームに良く似たデザインだった。片手に錫杖のような物を持っているのが、頭痛と虚ろな笑いを誘う。
　セイヤは高らかにメカを指差し、叫んだ。
「これぞ、ウリバタケ研究所の新製品、ミニエステバリス・隠密偵察フレームだ！」
「ミニ……？」
　呆れて呟くリョーコには気付きもせず、セイヤは上機嫌で続けた。
「１２０キャノン砲の部分には万能カメラを、ミサイルポッドの部分には高感度マイクを装備した。さらに光学迷彩によるステルス機能も……」

「……きっとありゃ、昨日から徹夜して作ったんだろうな」
「……変わんないよねぇ、ウリピーも」
「……そうですねぇ」
　充血した目の下に隈を作り、それでも嬉しそうにミニエステの造形美と性能について熱弁をふるっているセイヤを見ながら、サブロウタたちはしみじみと頷い た。